先日、年長クラスでは「紅葉」をテーマに思考実験をおこないました。子どもたちが落ち葉やどんぐりを集めてきて作品を作る、というものです。葉っぱの色の変化や形を観察しながら、季節の変化も感じられる時間です。白い紙に子どもたちは自由に作っていきます。それは抽象的なものでも何か名前のあるものでもいいのです。その子が感じた通りに作ることを大切にしています。以前はついつい「何でもいいよ」と言いながら説明の際に「たとえば」をつけていました。「葉っぱをふたつつけて耳みたいにしてもいいし、こんなふうにしたら顔みたいにもなりそうだね。動物にもなりそう」と。そうすると、子どもたちは大人が発する言葉に引っ張られて、真似します。子どもたちの様子を見ていると、もちろん楽しそうに作っていますし、きちんと形になっているのですが、「自由」に作ってほしかったはずなのに動物を作っている子が多く、なんだか子どもたちの可能性を狭めてしまったな、と新人時代の私は反省しました。言葉ひとつ、渡し方ひとつで自由を狭めてしまいます。子どもの感性を大事にするためには、説明をしすぎないことを意識しています。たとえ失敗しても、それが貴重な経験になるからです。
その子自身にすべてを委ねると、材料は、紙・落ち葉・どんぐりとみんな同じなのにそれぞれまったく違うものに形を変えていきます。
Hくんは、どんぐりを目に見立てて紙いっぱいに顔を作りました。Tくんは葉っぱで魚を作り、持ってきていた木の棒もうまく使って魚釣りの様子を描いていました。Mちゃんは、イチョウの葉を横につなげ、チョウチョにしていました。
「作っていいよ」と伝えると、みんなすぐに手を動かし熱中して作品をつくっていたのですが、Kちゃんは葉っぱを手にして止まったままでした。どうしたのかな?と様子を見ていると、なんだか小さな声で話しているのが聞こえてきました。
「葉っぱさんは何になりたい?」「うんうん」
Kちゃんは、葉っぱやどんぐりと対話するところから始めていました。葉っぱをじっくり見つめて、「よし」と手を動かし始めました。何を作るのかなと見ていると、はさみを取り出し、丸みのあった大きな葉っぱをもみじの形に切っていきます。満足そうにそれを紙に貼るKちゃん。葉っぱで作品を作ろうと言うと、動物や乗り物といった葉っぱとは異なるものを作り出すイメージしかなかったのですが、葉っぱを別の葉っぱに変えるいうのもひとつの形だな、と思いました。
自由に、と思いながらも大人は当たり前に縛られているのかもしれません。年長の子どもたちの作品に限らず、小学生クラスの作文を読んでいてもこの時期ならではの魅力を感じます。「こんなところに着目したんだ」とか、「こういう表現をするんだな」とか。いまだからこその感性を大事にしてほしいと思っています。
花まる学習会 小林彩加(2021年)
*・*・*花まる教室長コラム*・*・*
それぞれの教室長が、子どもたちとの日々のかかわりのなかでの気づきや思いをまとめたものです。毎月末に発行している花まるだよりとともに、会員の皆様にお渡ししています。