年長コースに入会したAくん。入会当初は、数字もひらがなもまったく書けないに等しかったのですが、毎授業少しずつできることが増え、確実に成長していきました。できることが増える度にAくん自身がとびっきりの笑顔で喜ぶので、私も彼の成長を心から喜んでいました。
ある日の授業で、Aくんは驚きの成長を見せてくれました。「ひまわり」(年長コースのテキスト)に名前を書くとき、いつもは私が赤ペンで名前を書き、その上をAくんがなぞる、という流れで行っていました。しかしその日は、「と、は書けるよ」と言いながら、名前に入っている「と」を自力で書くことができたのです。Aくんの大きな成長を感じ、「やったー!」と、思わず裏声になってしまうほど、一緒に喜びました。
それを上回る感動がやってきたのは、絵を見て、その名前を文字で書くページに取り組んでいたときのことです。まだ自信のない文字を書くときは「むずかしいなあ」とつぶやくことが多かったのですが、その日の絵は、「糸」「トマト」「時計」で、Aくんが得意な「と」が、どの言葉にも入っていました。それに気がついたAくんは、目を輝かせながら、まずはすべての「と」を書きました。いつもは赤ペンをなぞって進めていくのですが、その日のAくんの様子から、さらに挑戦できると思った私は、「空いている場所を、見本を見ながら埋めてみよう」と促しました。すると見事、赤ペンの文字をなぞることなく、見た文字をそのまますべて書き写すことができたのです。
もしかするとAくんには、その日を迎える前から、見た文字を書き写す力が備わっていたのではないかなと思いました。「書けない」のではなく、「書こうとしていない」だけだったかもしれないのです。「と」を自力で書くことができたという喜びが、文字を書くことの楽しさに繋がり、「もっと書けるかも」という自信を呼び起こしたのだと思います。あのタイミングで、私が赤ペンで見本を書いていたら、彼のさらなる成長の芽をつんでしまっていたかもしれません。
それからというもの、Aくんは毎週、教室に入って着席すると「名前を書く!」と宣言し、自ら名前を書くようになりました。
学びの意欲に繋がるスイッチがいつどのように押されるかは、正確にはわかりません。ただ、「できた!」や、「楽しい!」というポジティブな気持ちが、きっかけの一つになるということは間違いありません。たった一文字だとしても、それを書けるようになったという事実が、Aくんにとって大きな一歩となりました。
そんなAくんは今年、小学1年生になりました。自力でひらがなを読めるようになり、いまでは、教材に漢字が出てくると「漢字があった!」と喜ぶほど、文字を書くこと、覚えることを楽しんでいます。
たかが「と」、されど「と」。どんなに小さな一歩でも、それ自体が成長であり、そこからさらなる成長に繋がる可能性があることを、Aくんが教えてくれました。子どもたちがいまできていることを把握し、挑戦したこと、少しでもできるようになったことがあれば、それを認めてあげる。そういったかかわりをしていくことが、私たち教育者の、役割の一つだと思っています。
花まる学習会 土方日向(2022年)
*・*・*花まる教室長コラム*・*・*
それぞれの教室長が、子どもたちとの日々のかかわりのなかでの気づきや思いをまとめたものです。毎月末に発行している花まるだよりとともに、会員の皆様にお渡ししています。