【花まるコラム】『桜のひと雫』西川文平

【花まるコラム】『桜のひと雫』西川文平

 春、4月。あたたかくなり、草花も生き生きと色づき、自ずと心もうきうきしてくる季節。学校や企業では、新生活の始まりに期待と不安で胸をいっぱいにした方々もそこかしこに。それは、花まる学習会でも同じで、新しい仲間との出会いに、教室は活気づきます。しかし、まだ幼い新年中さんだと、大好きなお母さんのもとを離れられずに、蝉よろしく足にしがみつきながらえんえんと泣いている姿もよく見かけます。先日も、私がふと教室の前を通ると、講師に対して頭を下げているお母さんの姿を見かけました。足元で目を真っ赤にしている子を見るにつけ、「あ、泣いたんだな」と察しました。迷惑をかけてしまった、申し訳ないことをしてしまった、そのお母さんは思ったのでしょう。謝罪の言葉を述べ続けるお母さんに対して、応対していた講師が一言。
「泣いている子、好きだからいいんですよー!」
私は、その言葉を聞いて「あぁ、これが花まるという場所だ」そう改めて感じたのです。たしかに、あの撥水性のいいつやつやの肌を大粒の涙がぽろぽろと朝露のようにして伝っていく様は愛しいものですが、そのお母さん、何よりその子本人にとって、どれほどほっとする一言だったでしょうか。

 教室に来て泣いてしまっているときの、子どもの心のなかを想像してみます。不安、さみしい、もっと遊んでいたい、いろいろな気持ちが渦巻いていることでしょう。「泣く」というのは一般的な基準で考えれば、たしかに「だめなこと」なのかもしれません。しかし、それは大人側の事情で作った極めて狭隘なルールに対してのこと、です。子どもは子どもの事情で生きているのです。「泣く」というのは、いろいろな思いをさらけ出すことができている、むしろ「子どもらしく素敵なこと」なのです。それに対して、「次は泣かないようにしようね!」と一見前向きに思える言葉をかけたらどうなるでしょう。答えは「逆効果」です。泣くくらいに繊細な子だからこそ、「泣いてしまった自分を責める気持ち」もきっと持っています。結果、「泣く=悪いこと」となってしまい、その子はずっと本当の自分を抑え込んで生きていく子になってしまうかもしれません。
  花まるでは、将来「メシが食える大人」になれるよう「自己肯定感を育むこと」を目標にしています。自己肯定感、というのは「何かを成したときに認められること」でも育まれるでしょうが、「何か成せなかったとき、あるいは何かをやらかしてしまったとき」に「それでいい、それがいい」と受け止めてもらうなかでこそ育まれるものだと考えます。自己肯定感の本質は、もうどん底かもしれない、そんなときに「まぁ、どうにかなるでしょ!」そう思える根拠のない自信にこそあるからです。泣いたあの子も、上の言葉を受けて、泣いた自分を責めずにいられるでしょう。泣いてもあたたかく受け止めてくれる大人がいることにほっと心が安らぐでしょう。子どもの特性を知り、心に寄り添うことができる、花まるだからこその言葉かけ。上記の講師の言葉を「花まるらしい」そう書いたのは、それ故です。泣いたっていい。いや、むしろ泣くくらいがいい。そうしたなかで子どもたちは、自己肯定感を、そして「自由」を体感していくのだと思います。

 ふと春の少し埃っぽい空を見上げると、あんなに満開だった桜も、一枚また一枚と花びらを散らせ始め、その奥には小さな緑の葉っぱを覗かせます。あの日、目を真っ赤にして泣いていたあの子の心にもまた、こぼした涙のその奥で小さな「自信」と「自由」が芽吹いていることを願ってやみません。これからも胸を張って、お母さんの足にぎゅっとしがみつきながら思い切り泣くといい。ひと雫ひと雫、大人になっていくのだから。そう思います。

 

花まる学習会 西川文平(2022年)


*・*・*花まる教室長コラム*・*・*

それぞれの教室長が、子どもたちとの日々のかかわりのなかでの気づきや思いをまとめたものです。毎月末に発行している花まるだよりとともに、会員の皆様にお渡ししています。

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