花まる学習会・スクールFC卒業生のその後に迫るインタビュー!
第13弾は、新聞記者となって高濱を取材した、伝説の卒業生にインタビュー!
ようこそ先輩! 黒澤亜美さん
【花まる学習会】南浦和教室(小3)
【スクールFC】南浦和校(小4~6)
特算・スーパー算数
*担当教室長:高濱正伸、松島伸浩、仁木耕平ほか
【進路】 光塩女子学院中・高等科→早稲田大学
【現在】 新聞記者
■花まる学習会の思い出
高濱 花まるに通っていたときのこと、覚えている?
黒澤 小学3年生で始めました。なぞぺーと、キューブキューブを覚えています。特になぞぺーは、毎回解くのが本当に楽しかったです。
高濱 どちらも、あと伸びした卒業生たちが楽しかったと語る教材だよ。サマースクールには参加していた?
黒澤 植物や虫に触れられる、森あそびのコースに参加しました。
高濱 3年生だと…カレーを食べたことくらいしか覚えていない子も多いよな(笑)
黒澤 確かに、食事のことをよく覚えています(笑)私のスクール中の目標は「お箸を正しく持てるようになること」だったのですが、帰るまでにきちんと持てるようになったんです。同じチームの仲間やリーダーが教えてくれて。たった数日で持ち方を矯正できたので、母がものすごく喜んでいました。
高濱 そんな目標を定めていたとは。普段は甘えてできないことにも本気になれるのは、親元を離れた野外体験の醍醐味の一つだよ。
■スクールFCの思い出
高濱 FCの先生たちの言葉やエピソードで覚えていることはある?
黒澤 私たちは仁木先生に国語を教えていただいていたのですが、クラスみんなで国語の授業前にその日のテストの答えをカンニングしたことがありました。こっそりやっていたつもりが仁木先生にバレてしまい、ものすごく怒られたことを覚えています。
高濱 そんなことがあったのか。
黒澤 仁木先生が涙ながらに本気で叱ってくださったので、心に響きました。「おもしろ半分でやってしまったけれど、これでは塾に通っている意味がない」と、一気に気持ちを切り替えることができました。それまではみんなと一緒に受ける授業が楽しくて遊び感覚の部分もあったけれど、勉強に、受験に、真剣に向き合えるようになりました。
高濱 仁木先生の本気が、まっすぐ伝わったんだな。特算やスー算(スーパー算数)はどうだった?
黒澤 厳しかったです。授業中に取り組んだ問題の答え合わせでは、解けた人・解けなかった人が明確にわかるようになっていたので、プレッシャーを感じることもありました。けれど、そのおかげで本気で向き合えたし、解けたときはものすごく嬉しかったです。
高濱 本気で切磋琢磨できる、いいメンバーだったよな。
黒澤 みんなと一緒に頑張れたFCでの日々は、本当に楽しかったです。
高濱 甘くない中学受験で「楽しかった」と言えるのがすごいよ。
黒澤 勉強にも本気だったけれど、遊びにも本気でした。教室で消しゴム野球をしたり、近くの神社にサッカーや野球をしに行ったり。どう遊ぶかも、真剣に考えていましたね。
高濱 親はヒヤヒヤしていたかもしれないけれど、いまの状況のなかで、あるもので遊びぬくことは、教育的にはとてもいいことだよ。
■あなたにとって、花まるとは
黒澤 勉強が好きになったのは…少なくとも嫌いにならなかったのは、絶対に花まるのおかげです。
高濱 嬉しいよ。
黒澤 中学に入学したばかりの頃は、勉強についていけなくて悩みました。でも、花まる・FCで培った土台と負けず嫌いの精神で、乗り越えることができました。中学受験までだけでなく、その先の人生でも勉強が好きでいられたことは、本当によかったと思います。
高濱 それが花まるグループの目標だからね。学びに対して前向きな人生を歩んでくれて、本当に嬉しいよ。
■おじいちゃんの紙芝居
高濱 亜美といえば、「おじいちゃんの紙芝居」のエピソードだよな。
黒澤 私が小学4年生くらいだったと思うのですが、母方の祖父の75歳をお祝いしようとしていたタイミングで、祖父が「体調が悪い」と親戚一同を集めたことがありました。心配して駆けつけると、祖父の人生を描いた手作りの紙芝居を披露されたんです。体調のことは、「こうでも言わないとみんな集まらないだろう」と考えた祖父のイタズラでした。
高濱 ある程度強引にやらないと、親戚全員を集めることは難しいよな。紙芝居には、生まれてからの人生すべてが描かれていたの?
黒澤 はい。戦時中、空襲のなか走って逃げたことも描かれていました。私の知らない祖父の姿に驚いた場面もありました。涙ながらに聴いている親戚もいるなかで、母は呆れた様子で大爆笑していました。
高濱 ははははは(笑)親戚全員を集めて紙芝居で自分の人生を語るなんて、ものすごくキュートでイケてるよね。これからのおじいちゃん・おばあちゃん世代の人たちにぜひ知ってほしい方法だよ。
黒澤 祖父は医者だったのですが、紙芝居とは別に、病院の方々が作ってくださった祖父のことが書かれた冊子もあります。祖父は私が中学1年生のときに亡くなって、もうちょっと話しておきたかったと思うこともありますが、そんなときにこの冊子を開くと、こういうおじいちゃんだったんだなぁと感じることができるんです。
高濱 おじいちゃんがあって、いまの亜美があるんだな。本当に素敵なおじいちゃんだよ。
■お母さんの存在
高濱 お母さんは、亜美にとってどんな存在?
黒澤 ベストフレンドです。よく「同級生だとしてもきっと仲良くなったよね」と話しています。
高濱 母と娘の理想の姿だな。共通の趣味はあるの?
黒澤 母が宝塚ファンなので、いまでも一緒に観に行っています。
高濱 もしかして、出待ち組?
黒澤 そうです!(笑)毎晩のように深夜まで仕事や恋について語り合ったりもしています。
高濱 いい関係性だね。亜美の心の安定は、お母さんとの絆にあったのか。
黒澤 高濱先生の取材をしたとき、高濱先生が「母は心の安全地帯」とおっしゃっていましたが、本当にその通りだと思います。いまもいろいろなことに挑戦できているのは、母がいてくれるからだと思っています。
■新聞記者への道
高濱 まさか亜美に取材されることになるとはなぁ。公開された記事を読んで「感動しました」って感想が続々と届いているよ。
黒澤 本当に、ありがとうございました!
高濱 新聞記者という職業を選んだ理由は?
黒澤 小学校の卒業文集で「新聞記者になりたい」と書いていました。中学受験のための勉強の一環で新聞を読むようにしていたのがきっかけで、当時は「かっこいいな」くらいの気持ちで書いていたと思うのですが。子どもの頃から本が大好きだったので、文章にかかわる仕事をしたいと思っていました。
高濱 どんな記者になりたいの?
黒澤 話を聴くだけでなく、議論ができる記者になりたいです。勉強不足で踏み込んだ話ができず、自分のふがいなさに落ち込むこともありますが、いろいろな世界に触れることができるとても楽しい仕事だと思います。
高濱 負けず嫌いな亜美だから、どんどん力をつけていくだろうな。頑張って、期待しています!
黒澤 ありがとうございます!