花まる学習会・スクールFC卒業生のその後に迫ります。
第30弾は、建築士のお父さんを亡くし、年の離れた弟二人を育てるお母さんを助けながら建築の道へ進んだ、伝説の卒業生にインタビュー!
ようこそ先輩! 岡平晃和さん
【花まる学習会】 浦和つくし幼稚園教室(小1〜6)
【スクールFC】南浦和校(中2~3)
*担当教室長: 高濱正伸、中林壮太、大中康弘、柿花尚吾 ほか
【進路】 公立中学校→さいたま市立浦和高校→長岡造形大学
【現在】 大学生(建築・環境デザイン学科)

高濱 岡平家の大黒柱で、あの超魅力的なお父さんが亡くなったのは…
岡平 小学六年生の4月でした。いつも通り行ってらっしゃいと見送った父が、何の前触れもなく帰って来なくなってしまって。心筋梗塞でした。
高濱 どれだけショックだったか。まだ弟二人も小さかったよね。あのとき、長女としてどういうふうに考えたの?
岡平 あの日、父が倒れたと聞いてまず母が病院へ行き、私は当時年中だった下の弟と留守番をすることになりました。私は何を思ったか、父の荷物からお守りのようなものを取り出してかばんに入れ、家にあったごはんをすべて使っておにぎりを握りお弁当にしたんです。そのあと私たちも病院へ行って、父はもう生きていないと理解しました。そのときはまだ涙は出なかったと思います。
高濱 受け入れられないよな。
岡平 その日、私と弟は友達の家に泊まらせてもらうことになったので、お母さんに「お腹空いたでしょ」と用意したお弁当を渡しました。
高濱 お母さんを支えたんだね。
岡平 母は泣きながら食べていました。実はこのエピソードは、私が二十歳になったときに母が手紙で「あのとき、晃和がいればこれから大丈夫だと思った」と伝えてくれて思い出したんです。
高濱 すごいお姉ちゃんだよ。そんな晃和は高校生になってお父さんと同じ建築士を目指すことを決意し、その夢に向かって進んでいるんだよね。力強く切り拓いてきた道、聞かせてよ。
■花まるの思い出と後輩へのメッセージ
高濱 花まるの授業、覚えている?
岡平 全部覚えています! 高濱先生が読んでくださっていたさくらはいまも内容を覚えている話があるし、あさがおやサボテンは弟たちの丸つけもしていました。四字熟語やたんぽぽの古典は中学以降の授業で登場するたびにあの頃声に出して読んだなと思い出していました。なぞペーも好きでしたがSなぞペーはなかなか歯が立たず、解説を聞いてそういうことか! とわかるのを楽しんでいました。キューブキューブは、建築のアイデアを集めるために実家から送ってもらって、いまも手元にあります(笑)
高濱 それはすごいな。サマースクールは覚えている?
岡平 リーダーから受け取った賞状はいまも大切に飾ってあります。大学二年生からリーダーとして野外体験に参加させていただき、あの頃のことを思い出したり、当時お世話になったリーダーと再会して感動したり、子どもたちと花まるの授業について語り合ったりしています。
高濱 晃和にとって花まるとは?
岡平 「故郷」です。
高濱 それは嬉しいなぁ。
岡平 私も弟二人もお世話になったのでかかわってくださった先生が多いというのもありますが、リーダーとして戻ったときにみなさんが「おかえり!」とあたたかく受け入れてくださって本当に嬉しかったです。
高濱 卒業生が立派になって戻ってきてくれることが何よりも嬉しいんだよ。後輩である花まるっ子のみんなへ伝えたいメッセージはある?
岡平 「野外体験にたくさん参加してね!」です。私はサマースクールにしか行けなかったのですが、リーダーとして雪国スクールも経験して、子どもの頃にこんな経験をしたかった! と感じています。
■中学・高校時代のこと
高濱 高校時代に打ち込んだことは?
岡平 野球部のマネージャーです。
高濱 あの頃はこんがり日焼けしていたね。
岡平 中学生時代はバスケットボール部だったので、その影響も大きいです。中学2年生まではクラシックバレエも習っていたので、発表会での白塗りが大変でした(笑)
高濱 真っ黒なバレリーナだったのか(笑)
岡平 野球部のマネージャーに憧れて、見学に行ってとても雰囲気がいいと感じた市立浦和高校を目指すことにしました。私が通っていた中学校にはマネージャーという役割がなく、しぶしぶプレイヤーとしてソフトボールに打ち込んだんです。
高濱 マネージャーこそやりたかったことなのか。高校での日々はどうだった?
岡平 最高でした! 高校時代の思い出は野球一色です。お世話係のようなイメージではなく、大事な役割を担う対等な部員として受け入れてもらえたので、日々のサポートや部の勝利に本気になれました。
高濱 いい青春だなぁ。お父さんと同じ建築の道を目指すと決意したのはいつ頃?
岡平 高校一年生の夏、文理選択のときです。
高濱 お母さん、喜んだだろうなぁ。
岡平 国立大学を目指す人も多い文武両道の校風で「市立浦和生なのだから、筑波大学を目指せる!」と魔法にかかっていました。けれど高校三年生の秋までなかなか成績を伸ばせず、やっと目覚めてどの大学を目指すのか、それとも就職するのかを本気で考えさせられました。そこで辿り着いたのが長岡造形大学で、一年生から模型作りもできる建築に特化したカリキュラムが私にぴったりだと思いました。けれど母に「新潟に行きたい」と伝えると案の定反対されてしまって…。
高濱 遠いもんなぁ。
岡平 岡平家には“欲しいものはプレゼンで母を納得させて手に入れる”文化があるので、どうやって説得しようか考えました。もともと筑波大学を選んだ理由の一つは「家族に何かあったらすぐに帰れる距離」だったので、アクセスや費用を調べました。その結果、新幹線を使えば筑波大学からよりも早く実家に帰れることや、アルバイトをすれば実家近くの私立大学に行くのと同じくらいの仕送りでまかなえることがわかりました。それを母に伝えて行かせてくださいと相談し、受験することに決めたんです。
高濱 さすがだね。
岡平 入学した結果、奨学金をいただいて仕送りを受けずに大学生活を送ることができているので、この道に進んでよかったと思っています。
■お母さんのこと
高濱 改めて、お母さんはどんな人ですか?
岡平 すごい人、ですね…!
高濱 パンチがあってどんなことにも負けない、強いお母さんだよね。
岡平 一人暮らしで身の回りのことをこなしながら学生生活を送るのも4年目になり、自分のことをあと回しにして私たち3人を育ててくれた母の偉大さを改めて実感しています。
高濱 親元を離れるとどれだけ大切に育ててもらったかがわかるよね。
岡平 ほんの少し同じような状況になったくらいで母のすごさを思い知らされるので、自分も子育てをするようになったらもっと感動するだろうなと感じます。
高濱 それも楽しみだね。
■これからのこと
高濱 大学生活はどう?
岡平 デザインに比重を置いたカリキュラムに必死に食らいついてきました。
高濱 知識や経験が少ないうちは過酷だよね。晃和は人生の局面局面で、本当に頑張っているよ。お父さんが道いてくれているんだろうなぁ。
岡平 建築士の受験資格を得たら、また次のステージへ進みます。
高濱 これからも本当に楽しみだよ。応援しています!
岡平 ありがとうございます!
