今年度も後半に差し掛かり、少しずつ問題の難度も高くなってきました。ポイントや考え方のコツを知ると、子どもたちは覚えたそれを活用しようと一所懸命になります。未知と遭遇するたびに新しい武器や技を覚え、問題を解決するたびにレベルが上がっていく。そんな冒険のような感覚で立ち向かっているのかもしれません。ある日の授業で、難敵に遭遇しました。
「あー、もう!なに、これー…めっちゃおもしろい(笑)」
「全然わからない…んじゃなくて、まだわからないだけだからね」
「問題が間違えているということは…さすがにないよね」
あまりのレベルの高い相手(問題)に思わず出てしまったネガティブな言葉をどこぞの芸人よろしく慌てて回収して飲み込む姿に、周囲からもクスクスと笑い声があがる。ときを戻すこと10分。子どもたちはザワザワしていました。
「なに、これー」「全然わからない」
Aが何気なくこぼした言葉は、水面の波紋のように一気に広がります。
「これ、本当に問題あってる?」
…そこを疑うか!?思わずつっこみたくなる気持ちを抑えて教室を見回すと、周りの言葉を一切遮断するように静かに試行錯誤するBの姿が目にとまりました。じっとBの様子を見ている私にクラスの何人かが気づいた頃を見計らって、全員に伝えました。言霊といって、発した言葉はそのとおりになっていくこと、それは自分の口から出た言葉を自分の耳で聞くことで思い込んでいくからであること、でもBは何とか正解を見つけようと、気持ちで負けないように黙々と考えていたことを。
周りの子もBの姿に感化されたのでしょう。Aもそこから何とかネガティブな言葉を帳消しにしようと頑張ってみたところ、冒頭の場面が生まれました。そう、いきなりはなかなか変わりません。でも、いままでならば気にならなかった一言に、敏感になっていきます。ネガティブなことを言ってはいけないのだと伝えることは簡単です。しかし子どもたちは、実感が伴わなければ本当の理解には及ばないでしょう。私は、教えるというよりも子どもが自分で気づけるようになる手伝いをする、そういう想いで指導しています。
話を戻しますが、その後、子どもたちは何を言わなくとも自然と静かになりました。誰もネガティブなことを言わない、誰もヒントが欲しいとさえ言わない、鉛筆が擦れる音だけが聞こえてきます。問題を何度も読み直したり、目を細めたりしながら、見逃している情報はないか目をきょろきょろと動かす。書いては消しを繰り返しながら思考を整理している子もいる。手が動いている子の机の上と周りには、大量の消しゴムのカスが残っていました。勢い余ってプリントをはみ出した鉛筆の跡もあります。手も紙も机も、黒鉛が擦れてうっすら汚れていく。泥んこになって帰ってきたときの服のような、夢中になった証。見ていて微笑ましく、この年代でしか滲み出せないのではないかと思わせる眩しさを感じました。
子どもたちが帰ったあと、私はその日の授業を思い返しながら掃除をします。机を拭いているときには、その席に座っていた子のエピソードを思い出すようにしています。普段、控えめな子が今日は2回も手を挙げて発表したな。問題が解けてニヤッと笑顔がこぼれた瞬間に目が合ったな。わからないとぼやいていた子の席を見てみると、誰よりも消しゴムのカスが散らかり、机は薄く汚れていました。試行錯誤し、最後まで諦めなかったことを机が物語っていました。「まだわからないだけ」この言葉が耳に残り、そのあとの説明を食い入るように聞いていたな。ネガティブなまま終わることなく、すっきりした表情で帰っていったな。
そんな様子を思い返しながら机を動かそうとすると、引き出しの中からプリントが1枚落ちました。 たくさんの消し跡がある表面と、裏面にはポイントと解説のメモ、そして小さく答えが書かれていました。きっと日を改めて挑戦したい気持ちの表れだろうと、Aの成長を感じた掃除の時間でした。
花まる学習会 中山翔太(2021年)
*・*・*花まる教室長コラム*・*・*
それぞれの教室長が、子どもたちとの日々のかかわりのなかでの気づきや思いをまとめたものです。毎月末に発行している花まるだよりとともに、会員の皆様にお渡ししています。