毎夏、サマースクール中に黒アゲハを見ることがあります。その度に、胸の奥が少し締め付けられる出来事を思い出します。それは数年前の出来事です。
サマースクール2日目の午後、永遠に続くと思ってしまうほどの青空の下で川遊びを存分に楽しみ、子どもたちは宿に戻ってきました。
班の最高学年である4年生の昆虫博士Tくんが、宿に戻ろうとしたときに、玄関のすぐ横にある畑を見て動きを止めました。T くんのそばにいた私が「どうしたの?」と声をかけると、
「蝶のサナギがあるんだけど、クモの巣に絡まっているから食べられてしまうかも」
と言いながら不安そうな顔をしていました。しばらくT くんとサナギを観察していると、同じ班の子どもたちも集まってきました。班の子が「何しているの?」とTくんに聞きましたが、その声はTくんには届いていない様子で、Tくんの視線は1年生のCくんが持っている虫かごに釘付けになっていました。
「Cくん、それ貸してくれないかな」
Tくんの顔は真剣で、その迫力に押され、1年生のCくんは「うん」と小刻みに頷き、虫かごをTくんに渡しました。虫かごを受け取ったTくんは、手慣れた様子で慎重にサナギを虫かごに移動させました。「蝶になったらすぐに逃がしてあげないと飛べなくなるから、みんな蝶になったら教えて!」と仲間に伝えてから、虫かごを大事そうに抱えて宿に入っていきました。
翌日、早朝5時頃、Tくんたちの部屋から歓声があがりました。部屋に行くとサナギが蝶になっていて、虫かごが小さく見えるくらいに大きく立派な黒アゲハが、羽を何度も広げていました。興奮状態の子どもたちのなかで1人冷静なTくん。「早く逃がさないと羽が傷んで飛べなくなる」と言って、虫かごを持って外に出ようとしましたが、虫かごの持ち主のCくんが、「もう少しだけ見たいから、逃がすのはあとにしない?」と強めの語気でTくんに伝えました。Tくんは、かなり悩んでから「わかった」と言って、虫かごを元に戻しました。
昼食後、狭い虫かごのなかで飛ぼうとしている黒アゲハを見て、みんなで相談し「逃がそう」ということになり、捕まえた畑に行きました。虫かごから出された黒アゲハは葉っぱにしがみつき、飛ぼうとしません。
「しばらくしたら飛んでいくから、このままにしておこう」というTくんの説明があり、みんな宿に戻りました。
最終日の昼食後、いち早く外に出てきたTくんは黒アゲハを逃がした畑を念入りに見ていました。そして、突然動きをとめてから大きくうなだれました。私はTくんにゆっくり近づきました。Tくんが見つめていたのは、草のしげみに隠れて動かなくなった黒アゲハでした。羽はボロボロになり、もう動くことがないことは見てわかりました。
「早く逃がしておけば…」
というTくんの声は涙ぐんでいます。夏の熱く重い空気が二人の間を吹き抜けました。そのとき、玄関のほうから同じ班の子たちの声が聞こえてきました。その声を聞いてTくんは大きな葉っぱで黒アゲハをくるみ、少し離れたところに穴を掘り、動かなくなった黒アゲハを埋めました。汚れた手を払いながらTくんが戻ってくると同時に、同じ班の子たちが外に出てきました。「黒アゲハは飛べたかな」「まだいるかな」と言いながら、逃がした畑を探しています。それを見てTくんが「もういないってことは、無事に飛べたんだよ」と青く澄んだ空を見ながらみんなに伝えました。それを聞いた子どもたちは「元気でね~」と空に手を振っていました。みんながバスに乗り込むときにTくんが私のところにきて、「このことは、みんなには言わないで、みんなショックを受けるから」と言って、うつむきながらバスに乗り込みました。
あのとき、「早く逃がせば生きていたのに」ということを言わずに、すべての責任を自分で背負い、仲間の気持ちを考えて黒アゲハを埋めたTくんは、苦しくて切ない気持ちだったと思います。
あれから毎夏、黒アゲハが必ず私のまわりを飛ぶようになりました。「Tくんが守った仲間の笑顔、その優しさは黒アゲハもわかっているよ」といつか伝えてあげようと思います。
黒アゲハを見ながら、今年の夏もTくんのことを思い出しました。
花まる学習会 箕浦健治(2022年)
*・*・*花まる教室長コラム*・*・*
それぞれの教室長が、子どもたちとの日々のかかわりのなかでの気づきや思いをまとめたものです。毎月末に発行している花まるだよりとともに、会員の皆様にお渡ししています。