今年のサマースクールが終わりました。教室で子どもたちから、電話やメールでお母様がたから、それぞれのコースを担当した社員から、私が見ることのできなかった子どもたちの成長を聞きました。初めて会ってからたった数日しか経っていないのに、解散時には別れを惜しんで号泣する仲間になっていたという子もなかにはいて、かけがえのない時間を過ごしてきたのだな、と改めて野外に出ることの価値を感じました。
ある6年生の女の子は、自分のことだけでなくコース全体のことに気を配り、浮かない顔をしていた年下の子の話を聞いてあげたり、リーダーになって意見の違いを調整したりと、チームをまとめ、仲間から頼られる存在として活躍したそうです。それを聞いて、私は自分のことのように嬉しくなったのですが、同時に少し驚きました。普段の教室では、確かに隣の男子に世話を焼いてあげるような優しいところはあるものの、そこまで自分から前に出ていく印象がなかったからです。しかし、スクール中の彼女の様子を詳しく聞いて、納得しました。その子は「自分は暗い子だったけど、みんなのおかげで明るくなれた。次は私が誰かのためにそうなりたい」という素直な気持ちをみんなの前で話したそうです。仲間を信じて自己開示し、誰かのために真心で行動したことが、心の壁を越えることにつながったのだと思います。こうした、一歩というよりもジャンプするような大きな成長は、野外体験という特別な環境でこそ育まれた姿ではないでしょうか。
一方で、最終日程が中止になってしまったことは、胸が詰まる出来事でした。あるご家庭では、子どもと一緒に期待に胸を膨らませて準備をしているときに中止の連絡が入ったそうで、何ともやりきれない気持ちになりました。仕方のないこと、と淡々と事実を受け入れているように見える子どもたちも、心の中では整理のつかないさまざまな思いがあったのではないかと思います。
予定が中止になってしまったあと、保護者のみなさまに連絡をとって実際の子どもたちの様子をうかがったのですが、そのなかで、胸を打たれた言葉があります。「残念だったけれど、無事に行けた子はいるんだから、それはよかったね」という、ある3年生の女の子の言葉です。はじめこそショックを受けていたようでしたが、そのあとに笑顔でそう言ったのだとお母様が教えてくれました。私はそれを聞いたとき、一瞬言葉を失って、宙を見上げました。逆境にいながらほかの誰かの幸せをイメージすることは、大人でも簡単にできることではありません。年齢を越えた、ひとりの人間の善性に触れた思いがしました。
「次は私がそうなりたい」「それでも行けた子はよかった」どちらも、その子のその瞬間の前進しようとする気持ちが込められた言葉です。サマースクールに行けても行けなくても、子どもたちはそれぞれの経験を、こうして自らを育む土壌にしていくのだな、と感じました。来年の夏を、いまから楽しみにしています。
花まる学習会 橋本一馬(2021年)
*・*・*花まる教室長コラム*・*・*
それぞれの教室長が、子どもたちとの日々のかかわりのなかでの気づきや思いをまとめたものです。毎月末に発行している花まるだよりとともに、会員の皆様にお渡ししています。