先日、スクールFCで中学受験を終えたCちゃん。受験を終えて挨拶をしに来てくれました。4年生まで花まるを続けていた彼女。とても素直でコミュニケーション能力も高く、自分から相手の懐に飛び込んでいくことができるような子です。それを象徴するかのように、作文が好き。自分なりに工夫した作文を書く姿からは、彼女が読み手に楽しんで読んでほしいと思っていることがうかがえました。その実力は新聞に掲載されたことがあるほど。一方、算数は国語と比べると、本人にとって自信のない教科でした。間違えた問題を解き直す「×解き」(バツ解き)では、「わからない」と言いながら取り組んでいたことを覚えています。でも、その言葉は形だけの「おはようございます」と同じようなもの。本当にわからないのではなく、苦手教科への気持ちからついネガティブな言葉がでてしまうようでした。実際、少しサポートすると「あっそういうことね!」と自分で解き進めることができていました。
彼女は、スクールFCに移動してからも、時々花まるの教室を訪れ、近況を教えてくれることがありました。吐き出す場を作ることで心のバランスをとっていたのかもしれません。けれど、私には彼女が求めている言葉を見つけることができませんでした。これまで散々「登場人物の気持ちを答えなさい」という問題を解いてきたのに。頑張れといってあげた方がいいのか。頑張っているのに頑張れと言われたらつらいのではないのか。答えが見つからないまま、私にできたのは、ただ彼女の話を聴くことだけでした。
受験を終えた2月。会いにきてくれた彼女は誇らしげに「第一志望校に合格しました」と教えてくれました。6年生の4月時点では10以上足りなかった偏差値。彼女の話のなかで印象的だったのは「6年生の秋以降は本気で頑張った。もうダメだというぐらいやった」というセリフ。その姿からは、‟どこか自信のない彼女”はもういないのだと感じられました。自分の頑張りを自分で認められるようになっている。すごいな……彼女は良い受験ができたのだな……。小さな積み重ねがもたらした、大きな幸せ。
そんな彼女が急にこんなことを言いました。
「先生、花まるをつぶさないでくださいね」
「(花まるがつぶれる予定はいまのところないんだけどな……)つぶさないよ。花まるに通ってくれている子どもたちがいる限りね」
「そっか!よかった!!だって、私が結婚して子どもが生まれたら、絶対に花まるに通わせる!って決めているんです。それで高学年になったら、FCか西郡学習道場か悩む……!」
「いまからそんな先のこと決めているなんてすごいね」
「だって、花まるはたくさんほめてくれるし、楽しく勉強ができる。それに考えることがおもしろいって教えてくれた場所だから、楽しい思い出しかないんです。だまって話を聞いてくれる先生もいるし。花まるに通ってよかった!って思っているから、子どもにも、絶対に自分と同じように花まるに通ってほしいんです」
彼女は続けました。
「旦那さんになる人が誰だかもまったくわからないけれど、それだけは決めているんです!旦那さんのことも説得できる準備はできています!でも、子どもの意思も大事にしたいから、ちゃんとやりたいかどうかは聞きます」
なんだか彼女らしくて、思わず笑ってしまいました。
低学年の頃までの記憶は、曖昧なものがほとんどです。しかし、胸に残り続ける記憶は、年齢を重ねても鮮明なものだと思います。彼女のなかでの花まるは「楽しい場所」であり、「いつか帰りたい場所」だったと感じられ、嬉しく思いました。
春は出逢いと別れの季節。いま通っている子どもたちのなかにも、彼女のようにスクールFCへと巣立っていく子がいます。寂しくないといえばもちろん嘘になりますが、「別れ」は大きな挑戦への第一歩であり、祝福すべきこと。そばにいられなくても、支えとなれるように、つらいときに前へ進むきっかけになれるように、花まるを「心健やかに育つ場所」にしていきたいと思います。そして、彼女に続いて花まるの教室に帰ってきてくれることを願っています。
――おめでとう、C。頑張ったあなたに、大きな大きな花まるを――
花まる学習会 小野寺香織(2021年)
*・*・*花まる教室長コラム*・*・*
それぞれの教室長が、子どもたちとの日々のかかわりのなかでの気づきや思いをまとめたものです。毎月末に発行している花まるだよりとともに、会員の皆様にお渡ししています。