花まる学習会・スクールFC卒業生のその後に迫る新企画!
第6回は、まわり道をしながらも、自分の道をしっかり歩む卒業生にインタビュー!
ようこそ先輩! 石ヶ森 威彬さん
【花まる学習会・花まるアルゴ】南浦和教室
*花まる教室長:箕浦健治
*アルゴ教室長:高濱正伸
【スクールFC】南浦和校(小学4年生~)
【進路】郁文館中学校・高校→明治大学→杏林大学医学部
高濱 すごいラインナップだよね。アルゴは俺で、花まるは箕浦と伝説の工藤に教わってるんだから。
石ヶ森 高濱先生、箕浦先生も、基本的に花まるの先生はみなさんエネルギッシュ。大人の恥ずかしさがなくて、キラキラしてましたね。全力でクワガタ体操をやってみせてくれたり、ああいうのって恥ずかしいじゃないですか、大人は(笑)それがなくて、子どもから見ても全力でやってくれるので、こっちも楽しめた。
高濱 ハハハハハ(笑)そうだろ。変に委縮しない感じを伝えたかったんだよ。
石ヶ森 あと、スクールFCの勉強合宿で高濱先生にめちゃくちゃ怒られたのが、忘れられない思い出です。ここでは言えないんですけど(笑)高濱先生にビンタされた人間、僕ぐらいしかいなんじゃないかな。
高濱 石ケ森は絶対に忘れられないやつの一人。なんでかって言うと、「いい子じゃなかった」感じ。「先生、〇〇くんたちが消しゴムをこうやってました」って告げ口に来るんだよ。野外体験でも、宿とかでタタタタッて来て「〇〇くんが布団を倒してました」って(笑)クリックリの目でさ。
石ヶ森 それ最悪じゃないですか!何してるんですかね、本当にもう(笑)優位に立とうとしてたんですね。
高濱 大人が「えっ⁉」って言うのを嬉しそうに見てる(笑)今回は、「子どものころ、非優等生で手を焼いたけど、こんなに立派になった青年の話」だな。
■知恵をつけた花まるの野外体験
高濱 印象に残っている教材・教具は?
石ヶ森 そうですね、覚えているのはアルゴ。あとはなぞぺーと、キューブキューブも。
高濱 キューブキューブやなぞぺーとアルゴが楽しければ、だいたいあと伸びするんだよね。全部理系で伸びるやつばっかりだから。
石ヶ森 花まるは楽しい思い出しかない。とにかく遊んでいたイメージですね。勉強とは感じていなかったと思います。
高濱 あなたにとって、花まるとは?
石ヶ森 知恵をつけてくれたところですかね。最近、知恵と知識は別だなと思うようになって…俗にいう受験勉強とかは知識をつけるものだけど、大人になったときに、答えのないものに対しては知恵を使わないといけない。それは、何もない自然のなかで、自分で工夫して、試してみて、失敗して、「じゃあ次はどうしたらいいか」って考えて…っていう一連の流れを体験しないと身につかない。
高濱 その通りだよ。野外体験はすごい回数来てるもんね。石ケ森がいなかった回って記憶にないぐらい。
石ヶ森 たぶん、ほとんどすべてのイベントに行ってるんじゃないですかね。
■お母さんは愛の塊みたいな人
高濱 子どものときってあんまり覚えてないでしょ?落ち着かないタイプだったから。だいたいそういうやつらってあんまり覚えてないんだよ。
石ヶ森 覚えてないです(笑)「勉強しろ」とは言われましたが、両親の方針としては、やりたいことをやらせるだったので、全部やらせてもらえたなという記憶はあります。
高濱 お母さんはとにかく愛の塊みたいな人だよね。
石ヶ森 お母さんとは…けんかばかりしていました。それこそ、お互い手が出るレベルの。小学校高学年から始まって、思春期ピークの中学校3年間は一番ひどかった。お母さん的には最大の愛を注いでいるので、「なんで受け止めてくれないの?」という思いがあったのかなって思うんですけど…。
高濱 まさにそういう悩みだったと思う。「なんでうちの子はこんなに通じないんでしょう?」って。こっちから見たら、マジで超溺愛だったんだよ。石ケ森は弟と年が離れているからある種のひとりっ子の強さみたいなのもあって…意思をちゃんと出すじゃん。だまって言うこと聞いてないじゃん。
石ヶ森 はい、それはありましたね。言い方によってはわがままなんですけど、やりたいことは全部やってましたね。
高濱 これは勇気をもたらすね。そういうことも踏まえて育った子が、医者になろうとしているんだから。
■4年の遠回りを経て医学部へ
高濱 「中退して医学部」でしょ。結構な冒険だよね。今回のハイライトの一つかな。
石ヶ森 4年遠回りをして、22歳で入学しました。高校を卒業した段階でほぼ勉強してなくて、偏差値は35。でもよくわからない自信があって…。1年目は全滅して予備校に入ったんですけど、高校4年生みたいな雰囲気でとにかくエンジョイ。当時は親にも言えなかったんですけど。
高濱 わかる、俺がそうだったから(笑)言えるわけないよ。ちゃんと苦しそうに勉強している雰囲気を出しておかないと。
石ヶ森 浪人中に彼女ができた話を母親にだけはしていて、「まったくしょうがないね」と言いつつ、「勉強しなさいよ」と言われていました。そんなときに、偏差値が僕とあんまり変わらないくらいの友達が医学部を受けることを知って、初めて自分の将来を考えたんです。自分はやりたいことも見つからずに過ごしている間に、気づいたら相手は医者になっていて、あとから「同じところにいたのにな」って思いたくないなって。負けたくなかったんですかね。親には怒られたけど、医学部を受けたいってずっと言っていたらついに折れてくれて、1浪のときは出願期間が過ぎていたから、「この1年で医学部に受かってやる」って思って、浪人2年目で初めて本気で勉強しました。でも1年では到達できず。
高濱 偏差値35から明治もすごいよな。だいぶ伸びてる。
石ヶ森 入学はするんですけど、「辞めてやる」って思っていて。大学の単位をとりながら医学部の受験勉強を始めていました。
高濱 そうなの⁉両方は大変だよ。
石ヶ森 友達にいろいろ協力してもらいながら、予備校に通わず1年間独学でやったんですが、合格できず。もう1年だけやらせてくれって親に頼み込んで、大学を1年休学して医学部専門の予備校にも通わせてもらいました。そこで徹底的に勉強して、杏林に入った。
高濱 親に感謝だな、それだけやらせてくれて。
石ヶ森 本当に、親には感謝しています。普通はやらせてくれないですよね。
高濱 今のところは、何科の方面に行こうっていうのはもう決めてるの?
石ヶ森 産婦人科が興味ある科の一つです。
高濱 産婦人科は大変じゃない?
石ヶ森 そうですね。大変って言われますが、大変かどうかって、自分のやりたいこと、やりたくないことで決まるのかなって思っています。自分がやりたいことは努力できるんじゃないかって。たぶん、高濱先生が花まる学習会をここまで大きくしたのも、苦になるものはなく…もちろん血のにじむような努力があるとは思うんですけど。
高濱 そう!1個も苦になってない。「苦しかったことはありますか?」ってよく聞かれるんだけど、本当にないんだよね。寝ないでやっていても、徹マンの楽しさっていうか、遊びっていう感じ。
石ヶ森 やりたいことが見つかると、人間すごい強いなっていうのは思いますね。
高濱 お、名言が出ました!
石ヶ森 それはたぶん、大人だからとかじゃなく、子どもも同じことが言えるのかなって思って。僕の父親が、僕のやりたいことをやらせてくれるっていうスタンスがすごくありがたかったなって思います。
高濱 お母さんの愛もすばらしいけど、きみの父ちゃんのイメージはなかなかほかにない…なんというか、堂々と動かない山のごとし、「武士」みたいなイメージ。姿勢がよくて。
石ヶ森 姿勢がいいので、外でお父さんが遠くを歩いていてもすぐに見つけることができました。
高濱 強い感じで、ぶれない筋があったよね。
石ヶ森 そうですね。人の道理を外したときにはとことん怒られてビンタもされましたけど、自分のやりたいことをやるためのわがままは、大きく受け止めてくれました。自分の父親みたいなお父さんになりたいなって思いますね。
高濱 おーいいね!いい言葉だな。やっぱり、芯の部分の愛を受けてるっていうことと、盤石の父ちゃんと、わがままな部分はあるけれど、自分の意思を大切にするっていうところをずっと一貫しているから、そこがよかったよね。優等生の方向にいかなかったのもいい。子どもって、自分の意志をもっていきいき生きていれば、いろいろしでかしながら自分の道をちゃんと見つけるしね。でも、親御さんもえらいよ。4年も遅れたら「いいよ、普通で」って思うもんだけど。親孝行しなきゃな!
石ヶ森 はい!