今どうしてる?卒業生物語 【No.5】山本亮輔さん

今どうしてる?卒業生物語 【No.5】山本亮輔さん

花まる学習会・スクールFC卒業生のその後に迫る新企画!
第5回は現在大学3年生で、会社代表としても奮闘する卒業生にインタビュー!

ようこそ先輩! 山本 亮輔さん
【花まる学習会】あざみ野教室(小学2~5年生)
       *担当教室長:高橋大輔
【スクールFC】あざみ野校(小学6年生)
【進路】公立中学校→慶応義塾高校・大学
【現在】学生・株式会社エラフルー代表

■花まるの思い出
高濱 印象に残っている教材・教具はありますか?
山本 なぞぺー、あとサボテンはめちゃくちゃ家でやったのと、一番好きだったのは積み木の…。
高濱 キューブキューブね。あれが好きな子は、みんなのちのちなかなかなんだよ。
山本 箱にしまうときにみんなでタイムを計るじゃないですか。あのときは正直、ズルをしていて…何通りかあるのを、全部ワンパターンでやっていました。「はい、スタート」って言って、終わった人から「はい」って言って、「亮輔一位!」みたいにずっとやっていました。
高濱 ハハハハハ(笑)
山本 全パターン覚えて、全部家で練習して、一番早くできる同じパターンだけを毎週やっていたのはずっと覚えていて。そのキューブがあまりにも好きで。
高濱 へー。その時点で、見込みがあるというか、なにかやりそうなやつだな。サマースクールは行った?
山本 はい、でもサマースクールは記憶がなくて…。
高濱 これがね、結構みんなそうなんだよ。カレー食ったかな、ぐらいしか覚えてないんだよ。
山本 それすらも覚えてないです。
高濱 (笑)
山本 サマースクールより、あざみ野教室の横の坂を走った記憶が…それだけめっちゃ覚えてて。
高濱 なんかの番組のときにあそこが特集だったね。
山本 本当ですか。
高濱 子どもたちと歌って、走って上に行って、親子でゲームみたいなのをやったんだよね。あのときスゲー走ったよ。

■花まるの先生との思い出
高濱 先生の言葉やエピソードで覚えていることはありますか?
山本 大輔先生はめっちゃくちゃ優しくて、笑顔が素敵なお兄さんじゃないですか。それだけで単純にやりやすかったです。新しい先生のときには、熟語の意味を学ぶ回で、「真骨頂」っていう比較的難しい熟語を小4のときから覚えていたっていう記憶があります。
高濱 そのエピソードとともに「真骨頂」を覚えたんだ。
山本 そうです。そのときちょうどドラゴンボールにハマっていて、テーブルを担当していた女の先生がめちゃくちゃ絵がうまくて。ドラゴンボールのサイヤ人を描いてもらいました。
高濱 へー、いいエピソードだな。FCはなにか覚えてる?
山本 小6だったのでFCは覚えています。友だちとめっちゃ仲よくて、毎回終わったあとに、みんなでおやつを食べるっていうのが楽しみでした。
高濱 子どもってそういうのを覚えているんだよな。
山本 友達の一人の中学校がFCのすぐ横で、野球部でも対戦しました。FCの仲間はめっちくちゃ仲がよかったです。今でも連絡とります。
高濱 受験は高校からだっけ?
山本 そうです。中学受験がなかったっていうのもあって、なおさら仲よかったです。
高濱 中学受験だとミニライバルみたいなところがあるからね。

■花まるで鍛えられたこと
高濱 花まるでやっていたことで、役立ったこと、いま役立っていることなどがあれば教えてください。
山本 数学は高校受験のときにだいぶ…!数学でほぼ、ある程度の点数はとれて。あと、立体って訓練より空間認知能力が大事で、そこに関してはキューブで鍛えられた自信があります。
高濱 そうなんだよ。だいたいみんな高校ぐらいで、キューブキューブの価値わかりだすんだよね。
山本 僕、算数が得意だったので、小5のときに算数オリンピックの紙を先生に渡されて…。算数オリンピックの勉強をめっちゃしたんですよ。結局、ファイナルには行かなかったんですけど、そのときは少年野球の時間以外はすべて算数に注いでいました。
高濱 最高じゃん。
山本 『算数オリンピック過去問集』っていう分厚いやつをずっと家でやっていました。あのときは算数じゃなくて、単純に好きなことをずっとやっていた感じです。
高濱 そうだよね、勉強じゃなかったでしょ。いい問題ばかりだからね。俺の作ったのも入ってるけど(笑)。
山本 そうなんです。ああいう、時間をかけて解く問題のほうが好きで。
高濱 それ正しいよ。それをやれれば、基本的に考える力ってつくんだよね。5~6年からでいいんだけど、じっくりずーっと考えるっていうのは一番伸びるんだよね。
山本 あの算数オリンピックのチラシを渡されたときはいまでも覚えていて…。ああいうときって、自分から情報をキャッチアップすることってなかなかできないじゃないですか。せめて親に教えてもらうとか。あの雑誌をもらって、そうやって一年間本気で算数を勉強したのは一番印象に残っています。
高濱 算数オリンピックはもうマジでみんなすごいからね。決勝までいったやつはさらに、のちのちすごいんだよ。それはいいこと聞いたな。それがいまに生きているのかもしれないね。花まるの「ここがいやだな」と感じていたことはありますか?
山本 できたら「イエイ!」ってやるじゃないですか。慣れたら全然余裕だったんですけど、最初は恥ずかしくて…。同じテーブルの子が小2~3で、そのとき僕は小5で最年長だったからちょっと恥ずかしかったのを覚えています。小5のとき、そもそも教室に同級生が少なかったんですよ。
高濱 あのときは低学年と高学年が一緒のクラスも多かったんだよね。
山本 小5のとき年下が多くて、みんなの前でそれをやるのが恥ずかしかったのをめっちゃ覚えています。
高濱 「イエイ!」がね。それを思っている子はいるよ。でも、そういう子も結局のところいい大人になっているっていうのが大事だから。

■母への感謝と進路
高濱 あなたにとって、花まるとは?
山本 小2のときに連れて行ってもらえて、本当に親には感謝しています。
高濱 お母さんが見つけてきたんだっけ?
山本 そうです。
高濱 お母さんに感謝、これいいですね。あなたにとってお母さんの存在とは?
山本 母親は、一番尊敬していますね。重い障がいのある弟の育児で大変なのに、「なにがしたいの?」って聞いたときに、「まゆ(姉)と亮輔が好きなことをしてくれれば、それが一番幸せだから」って言って。高校のときは、まわりに家の大変さとかを言える環境じゃなくて。大学生になってから、弟のこともやっとまわりに言えるようになりました。高3のときに、すごく精神的にきついときに母親の偉大さを知りました。
高濱 やっぱり人間は自己管理できないときが一番きついよね。特に言えないものがあるときって、ちょっとストレスになってくるよね。「絶対に言えない」じゃないんだけど、きっかけがつかめないから言うあれでもないな、みたいに。
山本 まわりにむしろ気を遣わせちゃうかなって感じていました。
高濱 あー、あるよね。変にやさしくなられてもね。
山本 そうなんです、みんなやさしいので。
高濱 俺、幼稚舎出身者ばかりの塾高生の塾で教えていたんだよ。彼らはみんな立派になってる。慶應義塾高校がいいのは、部活とか全力でやるやつが多いから、すごい全方位で、いわゆるいまの教育改革で、「プロジェクト」をしっかりやれば勉強は二の次でいいって、塾高は本当にそれをやってるもんね。英語とかすごく深いことやってるしさ。使えるものだけしっかりやっている。
山本 塾高の友達とはいまでも仲がいいですよ。僕は自分から新しいものをやりたくて、そもそも理系かSFCで迷っていたけれど、SFCの学長が来たときに総合政策部と環境情報学部の方が来てプレゼンがあったので、「絶対行こう」と思いました。そのあと、すずかんさん(鈴木寛さん)と超福祉展で話す機会があって、SFCのゼミめっちゃいいじゃんって。
高濱 俺、SFCが断然いいと思うんだけど。
山本 僕、そのときはわからなかったんですよ。
高濱 ちょうど30年前に、俺が教えてる時点で「なんだ、このSFCの志高い問題は」みたいに思ったよ。大学入試の水準が全然違う問題だったから。めちゃめちゃおもしろかったんだよ、教える側からすると。通っていてもおもしろいでしょ?
山本 楽しいです。刺激になります。
高濱 あそこはガチで起業したい学生もいっぱいいるから、それがおもしろいんじゃない?
山本 僕、結構それを求めて行ったんですけど、実際は少ないのが現状だったんですよ。
高濱 そうか。普通は、とは言えやっぱり「大企業かな」みたいになってくるのかな、だんだん。
山本 そもそも頑張ってるやつを「あいつまじめにやってるな」みたいな感じで嘲笑するんじゃなくて、SFCはみんな頑張っているのがよくて。起業してる・していないどうこうよりも、おのおのの領域でやってるっていうのがよくて。
高濱 やっぱり、自分の課題を持ちながらの人も多いんだ?
山本 はい、います。
高濱 いいね。だって、SFCは先生も本当にいい人集めてるしさ。安宅さんも確かやってるよね。中室さんもやってるでしょ、すずかんでしょ。もう最高だよね。
山本 めちゃくちゃいい環境です。

■福祉をボトムアップで
高濱 学生で起業、会社として独立してやっていこうって、普通なかなかできないと思うんだけど、いつから思いついていたの?
山本 高1のときにFacebookの成り上がりの映画を観て、ああやってコーディングできるようになって、自分もゼロイチででかいサービスを作りたいと思って、プログラミングを始めました。高3になってからは、むしろ弟の領域でやりたいと思うようになった。
高濱 大事だね、自分の想いだからね。一番の関心である弟や障がい者のことでできて、それがJカーブになれば最高。
山本 コーディングは独学でやってから、高3で部活を引退したあとにLife is Tech !に行って、一時期は仕事でエンジニアもやっていました。
高濱 ザッカーバーグの映画に感銘を受けて、コーディングを自分でできるようになっているっていう時点ですごいよな。エラフルーというのは?
山本 福祉という意味の英単語「welfare」を逆から読みました。ボトムアップで障がい者領域を変えたいなって思ったので。インターンをしていたときに、まだ軽度の人にしかリーチできてないなって思って。
高濱 障がいがある弟とずっと過ごしてきたから、そういう子が生きる社会に対して問題意識を持てたってことだよね。
山本 弟のためにやったプロダクトが、弟みたいな課題を抱えている人みんなに有効展開できる。重度の子をほかにも身近に見ていたし、インサイトがあるので。重度の人の、学校以外の選択肢が少ないんです。放課後と土日は、YouTubeを見るか、親とお出かけするか、放課後等デイサービスに行くしかない。
高濱 放デイってどうしても預かっているだけみたいになるもんね。一般に、お稽古事ってみんなすごく楽しみに行くじゃん。「わー、水曜花まるだ!」とか「今日は野球だ!」とかさ。それがないもんね。
山本 やりたくてもできない、それが一番よくないと思っています。「ディズニーに行かせる」みたいな感覚で行ける場所をアートでやりたい。
高濱 あの子たちも楽しいし、意義もあるみたいなものを探していくのは大変。それで、絵に行きついたんだ。
山本 なかなか難しいモデルですけど、ヘラルボニーさんに影響を受けて、世の中のコンセンサスがとれているので。いまはファーストステップとしてアートをやっていますが、次は音楽もやりたい。
高濱 アートは皮切りでね。音楽療法は俺の人生がもっと暇だったらやりたいんだけど、さすがに無理かな。体が足りない。
山本 僕がやるので。家族がみんな音楽をやっていたからか、弟はむしろ音楽寄りで、言葉をしゃべれないのに自分で新しい曲を作って歌うんですよ。たとえば「玉ねぎを食べたい」ときは玉ねぎの歌を歌う。全部音楽でやるんです。
高濱 それはまたすごいね。音楽はやっぱり一番力があると思うな。うちの子も音楽のときはキラッキラしているもん。
山本 いいですよね。受け身じゃないんですよね。音楽のあとは就労支援もやりたいです。その人たちの感性を生かして仕事に結びつけたくて。
高濱 温かい気持ちでやってはくれてるんだけど、いまは作業所以外、選択肢がないんだよね。事実上の「お恵み」を、俺もなんと変えたいと思っていて。
山本 才能を発掘して…あとづけで仕事に。
高濱 教育のあり方で本当に一番いいのは、この子が一番とんがりそうなところを見つけて、そこを思いっきり伸ばすこと。それができるといいんだよ。そういう障がい児教育はいままでなかったからおもしろそう。アート・音楽は点数にならない。「どっちがいい」じゃなくて「それぞれ」になるからいいんだよね。

■がむしゃらに
高濱 花まる出身で、ちゃんと芯を持って、行動力がすごくあってどんどん新しいことをやっているところがいいよね。起業して動き出しているし、あとはもうやるしかないな。がむしゃらにやればいいよ。俺も最初の10年くらいはひたすらやってた。
山本 いま、イベントをやりたくて。コロナ禍で宅配が増えて破棄が多くなった段ボールを買い取って、でっかい段ボールハウスを作るんです。それに子どもたちがスポンジを投げたり絵の具をぶちまけたりして、好きなことができる体験をさせたい。その段ボールを崩して、藝大生が段ボールアートを作る。そのための場所を、いま探しています。
高濱 保護者のみなさん、週一でスポット借りできる場所があったら、ぜひ教えてください。まっすぐ自分の想いに向かって頑張っている亮輔を応援しています!
山本 はい、ありがとうございました。

 

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