【花まるリビング④】『いつか、母と娘の女子会を。』勝谷里美 2021年7月

【花まるリビング④】『いつか、母と娘の女子会を。』勝谷里美 2021年7月

 ――主人の帰りが遅い日は、時々、娘と『女子会』をしているんですよ~。テレビの前にピザやお菓子を並べて、私はワインをあけて、二人でだらだら映画を見ながら話すんです!
 以前、面談のときに、3年生の娘を持つお母さんからうかがった話です。きらきら話す姿を見ながら、(なんて楽しそう!私も娘ができたら絶対にやろう!)と思いました。

 さて、実際に娘が生まれて。代表の高濱が講演会でよく「弟はかわいいが、姉は憎し」という母の事例を話しますが、まさにそれと同じ構成のわが家。「…わかる」の一言です。第一子である娘は、右も左もわからない初心者ママ時代をともにした戦友でもありますが、言葉による意思疎通ができるようになり、なぜか「弟には感じないイライラ」を娘に対して感じてしまうことが出てきました。
 どういうときにイライラを感じるのだろう…と考えてみると、「娘が『私』とちがう考えで行動しているとき」という共通点がありました。私は、兄・弟にはさまれた三人きょうだいの真ん中っ子。幼い頃はどこか「自分が最初にかまってもらえなくて当たり前」という感覚がありました。いま思うと、そのかわりに好き勝手やらせてもらえたんだなぁ、とありがたい部分も多いのですが、「お兄ちゃんばっかり勉強を見てもらっている」「弟は、末っ子だからいつも優先される」と、もやもやししていた記憶があります。
 たとえば、娘は「自分が弟よりも後回しになった」という場面で、怒り、泣くことが多いのですが、そんなときに(『私』は小さいころ、自分が優先されて当たり前、なんてことはなかった…!)と思いイライラ。弟がトイレトレーニングをしている時期、娘からも「ママ、トイレに一緒に来て!」と言われ、そのたびに、今やっていることを止めてつきあわなければならず(『私』は、自分でできることは一人でやっていたのに…)という思いを抱えてイライラ。同じ性別だからこそ、娘の“自分とはちがう“部分がより目につくのかもしれません。

 いま、娘が、「キャスターボード」にはまっています。まだ始めたばかりなのですが、何とか一人で乗れるようになろうと練習する姿を見て、「何回も挑戦していてすごいね!」「いま、一秒長く乗れたんじゃない?」という声を自然とかけていたのですが(あれ、なんだか今、花まるの先生モードですごくほめやすい)ということに気づきました。
 「思考力問題や文章題など、理解を伴う問題に親子で取り組むと喧嘩になる」という法則はわが家も当てはまり、花まるモードで教えようとしても「あ、書き順違うよ」「そうじゃなくて」と、ついつい口をはさんで、なかなか取り組んでいる過程を認められません。ですが、「キャスターボード」の練習のときは、自然と、練習の過程や些細な変化が目につき、ほめやすいのです。
 なぜだろう…。――ああ、たぶん、『子どもだった私』も『大人の私』も「キャスターボード」に乗れないからかもしれない――自身ができないことに挑戦する子どもへの心からの賞賛の気持ちが、自然とほめる言葉につながったように感じました。

 子どもと親は、別の人間。(子どもも親の私と同じように行動するはず…)と思っていると、そうでないことにイライラしてしまうのですが、「別の人間」だと思い、ワンクッション置いて接することで、新しい一面も見つけ、ほめやすい。これが発見でした。これから先、思春期に突入する娘との関係作りは、まだまだ試行錯誤の連続でしょうが、ひとりの人間と人間として、時々、冒頭で紹介したような「母と娘の女子会」を楽しめるように過ごしていきたい、と改めて思いました。

 「母と娘」を題材にした本の紹介です。
■『かあさんのいす』
 素敵な椅子を中心に、家族の絆が描かれています。訳が『100万回生きたねこ』(講談社)で有名な佐野洋子さん。この佐野洋子さんのエッセイ『シズコさん』(新潮社)も、母と娘がテーマです。

■『増補新版 ザ・ママの研究(よりみちパン!セ)』
 絵本ではなく、中学生女の子向け。“ママのことを、ずっと好きでいるために、ママを研究する“という趣旨。「ママの不思議リストを作ろう」という章があり、これは「娘の不思議リストを作ろう」というふうに転用して、自分とはちがう娘の研究を進めるのにも役立ちそうだなと、興味深く読みました。

花まる学習会 勝谷里美


著者|勝谷 里美 勝谷里美 花まる学習会の教室長を担当しながら、花まる学習会や公立小学校向けの教材開発や、書籍出版に携わる。現在は、2児の母として子育てに奮闘中。著書に『東大脳ドリルこくご伝える力編』『東大脳ドリルかんじ初級』『東大脳ドリルさんすう初級』(学研プラス)ほか

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