「先生(私)ね、今度のお休みにお母さんに会いに行ってくるんだ」
あるとき、私は当時2年生のAちゃんに、実家に帰る話をしていました。すると、
「え? 翠先生にもお母さんがいるの?」
と驚いたように聞いてきました。低学年以下の子どもたちは、我々のことを同じ「人間」というよりも「先生」という概念として認識しているようで、自分と同じように家族や友達がいることを想像しにくいのだと思います。
「そうだよ! Aちゃんと同じで、翠先生にもお母さんがいるんだよ」
私が言うと、
「そうなんだぁ。じゃあ先生のお母さんはどんな人?」
こう聞かれたので、私の母の話をしました。
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看護師だった母は、とにかくいつも忙しそうでした。父は仕事柄、帰ってくるのが2〜3日に一度という生活でしたので、母はほぼワンオペで私と姉を育ててくれました。マイペースな性格だった私はよく「早くしなさい!」と言われていました。母は仕事から帰ってくると、夜ごはんの支度をしながら私たちに「宿題は終わった?」と聞いてくるだけで、学校や塾の宿題を隣で見てもらった記憶はありません。
「怒ってばっかりで滅多に褒めてくれん。七五三も私だけ撮ってもらってないし、□□ちゃんのお母さんみたいにずっと家におってもくれん……。お母さんは私のこと、どうでもいいんやろうか……」
そんなふうに思っていたこともありました。ですが、忙しくても毎食ごはんを用意してくれること、塾のお迎えにきてくれること、夜にココアを作ってくれること、母がしてくれるさまざまなことを嬉しく感じていました。
そして、中学生になった私は反抗期を迎えます。母との約束の時間に帰宅しなかったり、学校でのできごとから母に八つ当たりしたり、ことあるごとに母とぶつかっていました。
そんなある日、両親と口論になった私は「もうこんな家、出ていく!」と夜中に家を飛び出しました。家のまわりには山と川しかなく、たまに民家の明かりがあるくらいで、ずっと暗い田舎道が続きます。パジャマ姿のままの私は、とにかく遠く遠くへと、市街へ向かって走りました。無我夢中で走り、気がつくと家から2㎞ほど離れた場所まで来ていました。走り疲れ、ポツンとある街灯の下にうずくまり一息つくと、真っ暗な世界が急に怖くなりました。
「このままずっと一人やったらどうしよう……」
泣きそうになっていたとき、一台の車が目の前に止まりました。
「やっぱり、この辺やと思った」
母でした。母はそれだけを口にし、私を車に乗せました。安心からか、より一層泣きました。
私のことを理解し、見捨てず、手を差し伸べる。母の大きな愛に触れた瞬間でした。(ちなみに父は、真反対のさらに暗い方へ自転車で探しに行ってくれたようで、「ビビりの翠がもっと暗いほうへ行くわけないやんか」と母は鼻で笑っていました。さすが母……。)それからも私の反抗期は続きましたが、それまでより少しだけ大きな声で「おいしい!」と母のごはんにリアクションするようになりました。いまでも帰省すると喧嘩になることがありますが、いつも私のことを心配して、応援してくれている母のことを心から愛しています。
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「おこりんぼさんだけど、先生のことを一番知っている人、かな」
Aちゃんの質問にはこう答えました。
特に高学年のお母さま方から「子どもとぶつかることが増えた」「娘がああ言えばこう言う状態なんです」という話をうかがいます。子どもたちが大きくなるにつれて、嘘をつかれたり、約束を破られたり、腹が立つことも増えてくるでしょう。これから反抗期を迎える子たちもいると思います。ですが、それも大人になるための一つの成長過程です。
そんな子どもたちのことを一番理解しているのは、間違いなくお母さんです。子どもたちはどんな態度をとっていても、お母さんのことが絶対に大好きです。必ずお母さんに心から感謝するときが来ます。それまでは、しんどいときもあるかもしれませんが、少し待ってあげてください。私でよければ、いつでもご相談お待ちしております!
花まる学習会 浦岡翠(2024年)
*・*・*花まる教室長コラム*・*・*
それぞれの教室長が、子どもたちとの日々のかかわりのなかでの気づきや思いをまとめたものです。毎月末に発行している花まるだよりとともに、会員の皆様にお渡ししています。