【花まるコラム】『98≧100』橋本一馬

【花まるコラム】『98≧100』橋本一馬

 今年度最後のHIT(花まる脳力テスト)が終わりました。採点をしながら特に感じたのは、1年生の成長です。1回目のHITを行った6月当初は、ひらがなカタカナの五十音が書けるかどうかという状態だった1年生たちも、今回の漢字テストでは次々と合格(70点以上)、特待合格(96点以上)をしました。賞状授与の列に1年生がずらりと並ぶ姿を見て、確かな成長を感じました。子どもたちの練習をご家庭で支えてくださり、ありがとうございます。

 一方で、「おしい!」と感じることも多々ありました。これは1年生に限ったことではなく、どの学年にも共通していたことですが、あと1~2問で合格だった、特待合格になった、100点がとれた、そういう「あと少しで!」という点数をたくさん目にしました。できていないところよりも、できたところに目を向けるべきなのが基本的なスタンスではありますが、実際に点数を目にして一番「あと少しだったのに」を感じたのは、頑張って練習した当の本人なのではないかと思います。

 高学年クラスのRくんは、98点だった漢字テストを見た瞬間、テーブルに突っ伏して動かなくなりました。たった1問のミスがそれだけ悔しかったのです。ある漢字が一画だけ足りていませんでした。こういうときに、相手が子どもであろうと大人であろうと「98点とれたことを喜ぼうよ!」という言葉は正直かけづらいものがあります。本人が感じるありのままの悔しさに共感するのが味方というものかもしれません。私はその気持ちを伝えるため、無言でRくんに頷きかけました。
 そのとき思ったのは、98点だったからこそRくんがその漢字を間違えることはもう2度とないだろう、ということです。悔しさとともに教訓が刻まれることで、確実に成長するだろうと思いました。加えて、人が親しみを覚えるのは「100点をとった話」よりも「100点をとろうとしてとれなかった話」、つまり失敗談です。魅力的な人はそうしたエピソードにあふれ、失敗を笑いに変えていることが多いように感じます。100点がよろしくない、と言いたいわけではありません。100点をとれば、練習が報われた喜びも達成感も得られ、自信にもなります。しかし、「100点がとれなかった価値」もまたあるはずだと思うのです。

 それで思い出したのが、日光東照宮の「逆柱」の話です。1本だけほかの柱と上下を逆に建て、あえて不完全な建築にすることで魔除けの意味を込めたといわれている柱です。「満つれば欠くる」という盛者必衰の自然観、人生観に則り、当時の人々が生きて仕事をしていたのだと感じます。完璧な状態よりも、完璧に向かっていく状態のほうがいいんだよ、という考え方は昔から大切にされていたようです。

 100点を出せるほどの練習をしたことには間違いなく価値があります。しかし、場合によっては「おしい!」「あと少し!」の状態が、それ以上に魅力的な人間の財産になることを、子どもたちにも感じてほしいなと思います。

花まる学習会 橋本一馬(2022年)


*・*・*花まる教室長コラム*・*・*

それぞれの教室長が、子どもたちとの日々のかかわりのなかでの気づきや思いをまとめたものです。毎月末に発行している花まるだよりとともに、会員の皆様にお渡ししています。

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