今どうしてる?卒業生物語 【No.2】飯村真慈さん①

今どうしてる?卒業生物語 【No.2】飯村真慈さん①

花まる学習会・スクールFC卒業生のその後に迫る新企画!
第2回は「伝説の卒業生」にインタビューしました。

ようこそ先輩  飯村 真慈さん
【花まる学習会】用賀教室(小学3~4年生)
       *担当教室長:竹谷和
【スクールFC】用賀校(小学5~6年生)・スーパー算数
【進路】渋谷教育学園幕張中学校・高等学校→東京医科歯科大学医学部
【将来の目標】医者


高濱 飯村家っていうのは、そもそもちょっと違う。3人きょうだいが3人ともすごいっていう。一番下のWはオーラに満ちていてブワーと跳ねている子。二番目のKは、サマースクール史上、歴代ビッグ10に残る行動を残した。カジカは狭いところに逃げる習性があって、子どもはまず捕まえられなかった。Kは、シュノーケルの細い口の方を水中のカジカの前にやって、のぼってきたカジカをバッと捕まえるというのをやりはじめて、「奇跡の少年」と呼ばれた。そして真慈は、スーパー算数で教えていてトップクラスの力はもともとあったんだけれど、なんと中学受験生なのに小学6年生のときもサマースクールに来ちゃっているんだよね。「え、お前、いいの?」みたいな感じで。鹿児島の忘れもしない「高濱先生と行く修学旅行」。虻がいっぱいいるけど、川がすっごいすてきな大自然の滝の口の岩場みたいなのがあって、そこで俺が驚かす意味でバク転をしたら、「俺もやる」とか言って、やれもしないくせにやって、こっちから見ていたら頭が「あ、削った。あー終わった。受験も終わったー。お母さんに謝りに行かないといけない」って、一瞬、走馬灯のように。まあ結局は削ってなかったんだけれど、恐れず挑戦する行動力に驚いたよ。しかも、6年の受験の真っただ中にやっていたというね。で、中学の志望校決めも、通学の帰りに釣りができるということで決めてしまったという話があって。今日、特に私が彼にインタビューしようと思ったのが、「骨太教育」ね。本当はお母さんにインタビューしたいんだけど。修学旅行、覚えている?
飯村 覚えていますよ。さっきの岩場のエピソードも覚えています(笑)。
高濱 あれ、楽しかったもんね。こっちからこうのぼってね。ボーンってね(笑)。それでも結局、現役で医学部に通っているわけだからさ。なんていうか、せせこましいわけよ、今の都会の情報って。小さい頃はとにかく詰め込んで、「これやって、あれやって、これもやらなきゃ絶対間に合わない」みたいなことばかり言っていて。それから「4年生じゃ間に合わない」「3年生じゃ間に合わない」、今じゃ「2年生じゃ間に合わない」とか。「(塾の)席がないのよ」とかもある。そういうのがまかり通っていて、もっと大らかに、本来その年頃にやるべき活動を健やかにやっていればいいのになって思うことがある。真慈はあのときの、なにを覚えてる?修学旅行全体で。いっぱいある?
飯村 とにかく楽しかったです。覚えているのは、断片的にいろいろ…海とか川とか。
高濱 海も行ったね、船でね。船でしか行けない海岸。結構な荒れ模様だったんだけど。
飯沼 それも覚えています。エビ捕りしたのも。
高濱 エビ捕りね。あの川でしょ。捕った?
飯沼 捕りましたよ。
高濱 さすが。あと、牧場で歌ったりね。その前の年ぐらいまで私が運転していたんだけど、あのときはバスの運転手がいたんだよな。知覧の特攻隊のところにも行ったし。とにかく、思い出だらけのサマースクールだったね。


高濱 リーダーになってからは、どこでサマースクール来たんだっけ?やってみてどうだった?
飯村 この前行ったのは修学旅行。リーダーも楽しかったですよ。
高濱 どこが楽しかった?
飯村 修学旅行は子どもたちがいろいろ話すじゃないですか。あれが、その子ごとの個性、考え方を知ることができて。結構いろいろ考えているんだなって…。
高濱 修学旅行って、夜に人生を語る時間みたいなのがあって。車座になっていろいろお題を出してワーワー語り合うんだよね。あのとき、彼が今度はリーダーとして中心にいた。そういう意味で私が一番彼に注目してもらいたかったのは、やっぱり医学部ってすごい親たちが憧れに思っている部分があるし、この時代になると、確かに医者ってえらいなって痛感している。でも早期から詰め込んでやらなきゃできないなんてものじゃなくて、自分の関心とか集中ってことを大事にしてあげれば、なるものはなるし、高校ぐらいからの勉強は本人にしかやれないから、速成栽培みたいなんじゃなくて、自分の力でグイーンって伸びていく力をつけておくほうが大事。彼はその典型だと思って。現役(合格)だよね。
飯村 現役です。

盛り上がりすぎて2時間に及んだインタビュー、まだまだ続きます!
>>>第2弾(後編)はこちら

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