ある高学年男子のお母さんとの電話。サマースクール申し込み期間中のことでした。
最近花まるに入ったばかりの彼は、入会前に私からサマースクールの話を聞いて一度は行く気になったのですが、家に帰ってもう一度考えたとき、やはり行きたくない、と転じてしまったのでした。
お母さまが教えてくれたのは「もう一回先生に洗脳されたら行ける」「洗脳してほしい」と本人が言っているということ(もちろん笑い話としてですが)と、お母さまとしてはぜひ行ってほしいと願っているということでした。
その週の教室で、彼に声をかけました。「洗脳の件だけど……」と切り出すと、彼はいたずらっぽい顔で笑いました。本当に笑い話だったことに少し安心しつつ、私は彼に続けました。
「先生は、サマーに行きたくなるようにキミを誘うことはできると思うんだ。本当の洗脳みたいにね。でも先生はさ、キミがどうして行きたくなくなったのか、不安に思っていることを聞きたいよ。ここで先生に誘導されて行くよりも、自分の納得とか、覚悟とか、そういうことのほうがきっと大事だと思うんだ」
すると彼は、ちょっとした不安を教えてくれました。内容は私と彼との秘密ですが、シリアスなものでもそこまでセンシティブなものでもない、極めて身近な不安でした。
ただ、そういうものこそ私から尋ねる意味があったとも思います。もう心が大人になってきた高学年の男の子ですから、「親にわざわざ伝えるまでもない小さな悩み」というのが、こういった具合で心に引っかかるようになるのです。
ひと通り彼の気持ちを聞き、安心できる具体例を話すと、彼は納得してサマースクールへの参加を決めました。洗脳ではないから、家に帰っても解けることはありませんでした。
そして「洗脳してほしい」という言葉も彼にとってはこれからなくなっていくだろうな、とも思いました。
彼のなかに本当にあったのは、そういう言葉で表される願望や弱さではなくて、「師匠から背中を押してもらえれば自分は頑張れる」という、強さの芽であったと思うからです。
別の日、その彼の作文に興味深い話が書いてありました。それは、花まるに入る前に通っていた学習塾で「キミはちゃんとやれば頭が良いんだから、自信を持て」と言われていたという話でした。彼のなかでその言葉は、一部で自分が褒められているという意味でも前向きな、教訓的理解に落ち着いていました。
ただ私は違う考えを持っているので、彼にそれを伝えました。
「その塾の方も想いがあっておっしゃったことだろうから、何も否定はしないのだけれど、先生は違う考えを持っているよ。やるかやらないかみたいなことで簡単に上下しちゃうようなものを、頭の良さだと先生は思っていないんだよね。何があったって自分の頭で考えて、選んで、前に進める力、そういうのがたとえば一つの頭の良さだと思うんだけど、それって簡単には揺るがない頭の良さだよね」
彼も、まわりの子どもたちも、興味津々にこの話を聞いています。
「勉強はやったほうがおもしろいし、点数が取れるのはかっこいいし、宿題は約束としてやってくるものだけど、キミが何をやろうがやるまいが、先生はもうキミのことをよく知っているので、どう転んでも “頭の良い子” なんだよ。だからね、やったやらない関係なしに、キミらしくいる限りずっと自信を持っていていいんだよ」
一人に向けてはじめた話ですが、私がほかのみんなにも同じことを思っていることがバレていたのでしょうか、まわりの子どもたちも一緒に嬉しそうに頷いていました。
さて、この話の始まりは「洗脳」のことでした。
いつか解けてしまう幻想や、狭い世界の価値観を正しそうに語ってしまえば、どんな教育的目的のある言葉も、洗脳との境界が曖昧になってしまうかもしれません。
ただ、大人が世の中の真理を語るような尊大な顔をせず、勝手な評価をせず、目の前の「キミ」を愛する一人の人間として、まっすぐ想いを伝え続けることができたなら、子どもが自分らしさを認められながら、現実の世界でたくさんの体験を積めたなら、そしてそこで揺るぎない自信がついたなら、それは洗脳ではなく、成長と呼んでいいと、そう思うのです。
花まる学習会 坂田翔(2023年)
*・*・*花まる教室長コラム*・*・*
それぞれの教室長が、子どもたちとの日々のかかわりのなかでの気づきや思いをまとめたものです。毎月末に発行している花まるだよりとともに、会員の皆様にお渡ししています。