先日の授業で「作文コンテスト」をおこないました。授業への導入として、過去の優秀作品が掲載されている文集のなかから数作品を読み聞かせたところ、これがなかなか好評で「もっと読んで!」という声が絶えません。ほかの子が書いた作文を知る機会は「おたより作文」を読む以外にないので、その時間がとても新鮮だったようです。読み聞かせをした意図は作文の「題材」について子どもたちに感じてほしいことがあったからなのですが、さすが花まるっ子です。しっかりと汲み取ってくれました。
「何か、普通のことだね!」
そうなのです。数多ある作文のなかで花まる大賞や学年優秀賞に選出されている作文の多くが、日常生活のありふれたことをテーマに書かれているのです。しかし、読み手の心をしっかりとつかんでくる。この「日常を切り取る視点」は、作文を書く技術以上に教えにくいところです。
「作文に書くことがない」という言葉を発する子がいます。そう言いたくなる気持ちはとてもよくわかります。背景にあるのは「作文を書くに足る刺激的なイベントがない」ということがほとんど。「本当に書くことない?」と問うと、「うん。どこにも出かけていないし、楽しいこともなかった」という返答が多いことからも明らかです。つまり「イベントを書く」という妙な固定観念がいつしか形成されてしまっているのです。そういう前提ができあがってしまうと、書くことが楽しいことではなくなり、書かなければいけないから書いているという精神状態に陥ってしまいます。ちなみに私も小学3年生まではそうでした。夏休みの宿題で課されていた絵日記は苦痛以外の何物でもありませんでした。子ども心に「毎日、そんなに書くことないよ!」と題材探しで涙を流し、一番不得意だった「絵」まで描かないといけないことに絶望する。当然の結果として、夏休みの初日から最終日まで歯抜けのような絵日記ができあがり、途方に暮れることが晩夏の風物詩でした。一方で、作文を書くことを苦にせずむしろ楽しみにしている子たちを観察していると、まず「題材探し」というところでつまずきません。常に書きたいことがある状態のように見えます。つまり、作文を書く以前のところで分岐点があるということです。
今回の作文コンテストを通して子どもたちに伝えたかったのは「書き方」ではなく「書くことの見つけ方」。心を打つ良作の共通項は「特別な事柄を題材にしていない」ということに気づいてもらうことでした。「何か特別な日のことを書かなければいけない」という縛りがなくなると、途端に自由になる子が増えるのです。
かわいらしかったのは、ある教室の1年生の男の子。彼が私に近づいてきて言ったのは
「先生、いま、心でアイスを食べたいと思っていることを書いてもいい?」
もう、まさにそう。その通り! 彼が至った境地はこの先ずっと再現できる「心の見つめ方」だと私は思います。
「アイスがたべたい」
ぼくは、アイスがとてもたべたいです。きょう、くるまでアイスをたべてきました。とてもおいしかったです。アイスをたべたらチョコのあまいあじが口中にひろがります。アイスはチョコアイスです。でも、おふろあがりにたべるアイスがさいこうです。おふろあがりのアイスは口の中にいれると口の中がちょっぴりつめたくなります。
何とも微笑ましい作文で、そして、心にグッとくるものがありますね。読み手の心を打つ作文に共通しているのは、書き手の人として抗えない、本当は認めたくないようなところまで、俯瞰して正直に描写されていることかもしれません。読ませようとしているわけではなく、自分の心のうちにある言葉を並べるだけでも圧倒的な強さで読み手に伝わります。今回の作文コンテストを通して「日常のなかにある微かなひっかかり」をしっかりと観察する術を少しでも得てもらえていれば嬉しいことです。
花まる学習会 相澤樹
*・*・*花まる教室長コラム*・*・*
それぞれの教室長が、子どもたちとの日々のかかわりのなかでの気づきや思いをまとめたものです。毎月末に発行している花まるだよりとともに、会員の皆様にお渡ししています。