「安心して帰るわが家があるからこそ、旅を本当に楽しむことができるのです。帰る場所のない旅はただの彷徨いであります。」
これは、私の好きな作家、吉川英治さんの『人生列車』という詩の一節です。つい先日の話になりますが、亡くなった父親の法要のため、久しぶりに田舎の実家に帰る機会がありました。法要の儀式中、自分自身は頭のなかで「もう父親が亡くなってから12年が過ぎたのか」と時の流れを感じていました。また、父親は自分にとってどんな人だったかと思い出を振り返るなど、どちらかというと悲しみより晴れ晴れとした気持ちでした。
法要も終盤に差し掛かり、そろそろ終わりそうだなと思った矢先、兄を挟んだ隣の席から急にしくしくと泣く声が…。泣いていたのは母でした。その姿を見た瞬間、自分も思わず涙が流れました。特に男性はそうだと思いますが、普段滅多に見ることのない母の涙というものには、なぜかぐっとくるものがあります(そのあと、一瞬で笑顔に切り替わり「さあ帰ろうか」と話しかけてくる母の姿にもぐっときて泣きそうになりました)。
さて、法要のなかでお坊さんからこのような法話がありました。話の内容は、家の仏壇の前で手を合わせるときに何を考えればよいのかというもの。多くは、自分の願いごとを考える人と、先に逝かれた人があの世で無事に過ごせているかと心配ごとを考える人に分かれるようです。本当の答えはそのどちらでもなく、ただ何も考えずに気軽に手を合わせて、念仏を唱えればよいとのことでした。いまを生きている家族が自分の家という安心して帰る場所があり、日々を過ごすことができるのと同じように、先に逝かれた人も帰るべきところに帰っただけだから心配はいらないということでした。久しぶりに自分が実家に戻ったことも重なり「安心して帰る場所がある」という言葉が強く心に残りました。
安心して帰る場所があるということは、人間にとって一番大切なことであるかもしれません。子どもたちにとっても、パワーの源となるお母さんの作ってくれる食事、どんな話もでき、また自分を認めてくれる家族の存在、純粋に寝床もそうですが、帰る場所にはたくさんの大切なものがあります。教室に来てくれる子どもたちが、生き生きと過ごせているのも帰る場所があるからこそ。1日、1日を全力で生きている子どもたちにとって、その大切さはなかなか気づきにくいものではありますが、成長していくうえで、そのことにふと気づけるような人になることを心から願っています。また花まるの教室も帰る場所と同じくらい、安心できる場所になれたらなと思っています。
今回、改めて帰る場所の大切さが身に染みた帰郷となりましたが、「帰る」があるとなれば「行く」もあるのが人生。母の手料理を食べて、帰ってきたなと実感している最中に、母から「向こうに行っても頑張りなさいよ」と、鞄に入りきらないくらいの健康ドリンクと青汁や豆乳などの健康食品を手渡されたときは、あまりの重さにゾッとしました(それを持っていく労力で、健康食品から得られる分のエネルギーが失われるわと母にツッコミを入れそうになりましたが…)。強烈に「行ってこい!」とプッシュされたことに苦笑いしつつも、また頑張らないといけないなと決心を固める良い機会になりました。
花まる学習会 春木満之(2022年)
*・*・*花まる教室長コラム*・*・*
それぞれの教室長が、子どもたちとの日々のかかわりのなかでの気づきや思いをまとめたものです。毎月末に発行している花まるだよりとともに、会員の皆様にお渡ししています。