連日猛暑が続いています。街中では、向日葵を目にする機会が増えてきました。
私が通っていた小学校の花壇にも、向日葵が植えられていました。最初は腰ぐらいの高さだったのに、いつの間にか私と肩を並べ、あっという間に身長を抜かされてしまいました。自分より背の高い花を見るのは、これが初めてでした。「茎」というより「幹」という言葉のほうがふさわしいのではないかと思うくらい、力強く太くなっていく茎に毎回驚いていました。毎朝校門を通るたびに、まるで太陽に吸い寄せられるようにグングン太く長く伸びていく向日葵を見て、一体この花はどこまで伸びていくのだろう、と子どもながらに不思議に思いました。
花に対して、簡単に摘めて簡単に折れてしまうようなイメージをもっていた私。向日葵を前に、これまで感じてこなかった植物の底知れぬ生命力を目の当たりにし、何とも言えない畏敬の念を覚えたものでした。
私が担当している、とある幼稚園教室。その敷地内にある花壇に向日葵の花が咲いているのに気がついたのは、つい最近のことです。8分咲きといったところでしょうか。まだまだ大きくなりそうな向日葵を前に、低学年の子どもたちがまぶしそうに見上げていました。
私が気がづく前から向日葵はそこにあったはず。視界に入っていたとしても「ああ、向日葵だな」というぐらいの認識で、気にも留めずそのまま忘れてしまっていたのかもしれません。
花を咲かせてくれたことでその存在に気づくことができました。
よく子どもの成長を花にたとえますが、本当にその通りだなと感じます。
その子の能力は確かに花が咲かないと、こちらはなかなか認識できないかもしれません。でも、見えないだけできっとその能力は潜在的にあるはずです。真っ新な土の上に落ちる種も、いつどこからやってくるかわかりません。芽が出るタイミングがまわりの環境に左右されることだってあるでしょう。茎の伸び方も伸びるスピードも、みな違います。
とある高学年の女の子が言葉調べの宿題で、向日葵の意味を調べてきました。「夏の太陽に向かい、必死に生きる花」。
この言葉を見た瞬間、ああ、みんな必死に生きているのだ、と思いました。教室の子どもたちはまさに夏の太陽の下で輝く向日葵なのです。
6年生のMくんは、宿題が思うようにできず苦戦していました。Sなぞ(発展的な思考力教材)の解説の時間、花まるがついた友達のページと自分の真っ白なページを見比べて、「なんでみんなそんなにできるの…」と呟いていたのが2ケ月前。そのとき、私は気がつきました。Mくんはサボっているのでもなく、逃げているのでもありませんでした。Mくんなりにできない自分に苦しんでいたのです。そこから心機一転、自宅でお姉ちゃんからアドバイスをもらい積極的にSなぞに取り組むようになると、正解率も上がってきました。そしてそれに釣られるように、算数やサボテン(計算教材)の宿題への取り組みも上向きになってきたのです。だんだん自分に自信をつけていっている様子がMくんの表情から感じとれました。Mくんの心の向日葵が咲いた瞬間です。
街中に咲いている向日葵をよく見ると、茎の形は曲線を描いています。その曲がり方はそれぞれ異なります。子どもたちの人生を表しているようです。成長の仕方は人それぞれ。時には曲がったっていい、遠回りをしたっていい。太陽を目指して元気に育ってくれれば、それでいいのです。そして私は、晴れの日も、雨の日も、その向日葵たちに光を当て続ける存在でいます。
また元気に教室でお会いしましょう。素敵な夏休みになりますように。
花まる学習会 高津奈都子(2022年)
*・*・*花まる教室長コラム*・*・*
それぞれの教室長が、子どもたちとの日々のかかわりのなかでの気づきや思いをまとめたものです。毎月末に発行している花まるだよりとともに、会員の皆様にお渡ししています。