【花まるコラム】『サムサノナツ』山崎隆

【花まるコラム】『サムサノナツ』山崎隆

 低学年コースの古典素読教材「たんぽぽ」で宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を扱います。音読し、挑戦したい子は暗唱もします。現代語に近くリズムもいいので、全部覚えきってしまう子もいました。その「雨ニモマケズ」の終盤にこんな一文があります。
「サムサノナツハオロオロアルキ」
私はその意味を、子どもたちに尋ねてみました。

 「なぜ、夏が寒いとオロオロと歩くことになるのだろう?」子どもたちに聞いてみると、みんな考え始めます。「海とかプールに入れなくなっちゃうから?」というかわいらしい答えもありましたが、この詩に関してはおそらくそうではないでしょう。やがて3年生の子が言いました。「野菜とか植物が育たなくなっちゃうから?」。文学において何を正解とするかは簡単には言えないものですが、この「サムサノナツ」に関してはこれを正解としていいと思います。野菜や穀物が収穫できなくなってしまうからです。
 「たんぽぽ」ではほかにも古典や詩などの韻文を扱いますが、意味を理解させることを目的としているわけではありません。そのため今回の発問は例外ですが、子どもたちが一生懸命考える姿を見て「このような問いについて考えるのもいいものだ」と思いました。保護者のみなさまから「物語が読めない」というご相談をいただくことがあります。しかし、登場人物の気持ちを考えることができない、というのはある意味当然のことだと言えます。私たちにはあって、子どもたちにはないもの、「人生経験」の量が圧倒的に違うからです。文章を読むうえでは文法的知識や語彙力が重要になるのは間違いありませんが、実際はその背後にある人生経験が大きく影響します。『雨ニモマケズ』には、どこにも「米や野菜が採れなくて困る」とは書かれていません。「サムサノナツ」の意味がわかっても、「オロオロアルキ」の主語がわかっても、それだけでこの問いに答えることはできません。しかし大人であれば、どこにも書かれていなくても、その言わんとしていることを理解できるはずです。「海とかプールに行けなくなっちゃうから」と答えた子は、自分の人生経験に照らし合わせて一生懸命考えたのでしょう。それは素晴らしいことに違いなく、きっと成長するにしたがって、国語が得意な子になっていくはずです。

 しかし人生経験といっても、すべてを経験できるわけではありません。それこそ「サムサノナツ」によって作物が採れず苦しんだという経験は、私にはありません。「平成の米騒動」につながる記録的な冷夏もありましたが、飢えの苦しみはありませんでした。それでも「サムサノナツ」が何を意味するのか想像することができるのは、「学んだから」にほかなりません。
 何のために学ぶのか、ということに対して答えることは難しいものです。しかし、学ぶことによって視野が広がり、いろいろなことを考えられるようになるということは言えるかと思います。とりわけ「教養」と言われることが多い芸術や文学、歴史などの分野に関しては「ただ覚えている」ことよりも、「そこから何を感じ取ることができるか」ということが、より重要なことだと思います。歴代の徳川将軍を言えることやロシアの文豪・フョードル・ドストエフスキーの代表作『カラマーゾフの兄弟』を読むことも十分意味のあることですが、「サムサノナツ」という一文の意味を、想像し理解できることこそが本当の意味での「教養」だと思うのです。
 小学校を卒業する年代になれば、何を学ぶか自分で決められるようになってきます。もちろん、いやでも学ばなければいけないこともまだまだたくさんありますが、自分の興味のおもむくままに自由に学ぶことも、小学生の頃よりできるようになるはずです。「日本はダメだ」とよく言われますが、まだまだいい国です。図書館や本屋がたくさんあります。そこに行けば、必ず自分が「知りたい」と思うことが見つかるはずです。
 「知りたい」と思ったことのさきに「学びたい」ことがあります。学びたいことを学べる国が、ダメであるはずがない。多くのことを学び、いつかはその学んだことを今度は社会に還元できる大人になってください。こっそりこのコラムを読んでいる六年生のみんな、卒業おめでとう。幸多き人生を。

花まる学習会 山崎隆(2023年)


*・*・*花まる教室長コラム*・*・*

それぞれの教室長が、子どもたちとの日々のかかわりのなかでの気づきや思いをまとめたものです。毎月末に発行している花まるだよりとともに、会員の皆様にお渡ししています。

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