【花まるコラム】『便利で失うもの、不便で得られるもの』 榊原悠司

【花まるコラム】『便利で失うもの、不便で得られるもの』 榊原悠司

 「あれ? ん?」。ある教室の扉は昔ながらのドアノブ、つまり自動ドアやレバー式のノブではなく「カチャ」と回して開けるタイプ(丸ノブ)の扉です。そのドアノブを上手く回せない子が年々目につくようになってきました。幼児であればまだ力がないから、ともなりますが、それは小学生にも見られます。握力はあっても片手で「捻る」ことができず、ドアノブを両手で握り体ごと傾けて何とか開ける、といった具合です。
 一方で、随分と簡単に開けているものがあります。水筒です。一昔前は、水筒の蓋はコップを兼ねていました。クルクルと回して蓋を開け、そこにお茶を注ぎ、飲む。そのような水筒が主流でした。いまでもあるにはありますが、ボタンを押すとパカッと蓋が開く、ワンタッチで手軽に飲めるタイプを多く目にします。便利なものの登場で労力を要さず簡単にできることが増えてきたなと気づかされます。

 さて、これまた年々ですが、教室にて「数量感覚の乏しさ」を感じることも増えてきました。低学年であれば、たとえば「100を□こあつめると500になる」「300の半分は?」といった問題。高学年であれば「100÷30」に対して1や7など見当違いの商を立てる、「1000分の500」を見てすぐに「2分の1」が出ない、といったものです。このようなつまずきは少なくなく、実際に保護者の方からも上記のような問題で苦戦している、という相談をいただくことが増えています。ご家庭での話をうかがうと「現金で買い物をしたことがない」ということが共通項としてあげられます。
 これを受けて自身の小学生時代を思い返すと、教科書以上の生きた教材が日常にあったように思います。まず思い出されるのは駄菓子屋。当初はドキドキしながらお小遣いとしてもらった100円を握りしめ、恐る恐る10円ガムを6つ買う。すると10円玉が4枚返ってきます。「まだ買えそうだけど、どうしよう…」一つ選んでは手持ちの小銭を見せ「これ買えますか?」と聞く、ぎこちない買い物。おばあちゃんに「あんた、これだったらまだ買えるぞ」なんて教えられながら、段々と自分で計算しながら買い物ができるようになりました。遠足の準備もそうです。いかにたくさんのお菓子を300円で買えるか、友達と競うようにして頭のなかで足したり引いたりを繰り返していました。
 しかしいま、小学生が小銭で買い物をする機会は減っているように感じます。そもそも遠足のおやつは禁止だったり、お菓子の詰め合わせパックが学校側で用意されたりと、自分で頭を使って買い物をする機会が少ないようです。さらには、カードでの支払いが子どもの買い物環境にも入ってきているようです。ある教室にいた低学年18人に「お金で買い物をしたことがある人?」と聞くと4人が手を挙げ、「カードで買い物をしたことがある人?」と聞くと9人が手を挙げました。またある日、教室に電車で通塾している6人の子どもたちへ「切符を買っている? それともカード?」と聞くと、切符を買っている子は1人だけでした。あらかじめチャージされていれば、運賃を気にすることなく電車に乗ることができます。私も子どもの頃、よく電車に乗りましたが、当時はまだ交通系ICカードは主流ではなかったため都度切符を買っていました。券売機の上にある運賃表を見て降りる駅を探し、そこにある金額を確認し、200円だったら100円玉を2枚いれる。運賃表には大人料金の半額である子ども料金も一緒に載っています。「200円は400円の半分なのか」何気なく、でも何度も目にしているうちに何となく「この数字の半分はこれぐらい」ということをつかんでいたと思います。都度切符を買っていたことの恩恵です。

 現代は手間・労力・時間を要さないものが無数にあります。しかし、それゆえに失っている力がある気がします。体力維持のため、敢えてエレベーターを使わずに階段を使っている方がいるように、子どもに対しては、不便さを敢えて仕組む、そんなことが必要だと感じています。

花まる学習会 榊原悠司(2022年)


*・*・*花まる教室長コラム*・*・*

それぞれの教室長が、子どもたちとの日々のかかわりのなかでの気づきや思いをまとめたものです。毎月末に発行している花まるだよりとともに、会員の皆様にお渡ししています。

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