【花まるコラム】『あの日の木漏れ日』久慈菜津紀

【花まるコラム】『あの日の木漏れ日』久慈菜津紀

 ある日、ふと懐かしい感じがして顔を上げました。空を覆うように青々と茂った葉の間、そのわずかな隙間に光が揺れています。幹のプレートには「けやき」の3文字。あぁ…と納得した瞬間でした。子どもの頃、実家の目の前にある小さな神社に毎日のように入り浸っていました。ブランコや鉄棒、滑り台はもう寂れていて、葉っぱを集めたり虫を探したり、せり出した木の根に寝そべってみたり。境内の片隅にセミの幼虫の抜け殻をコレクションしていたのも思い出です。その神社にあったのが、大きな大きなけやきの木でした。樹齢300年以上の立派なもので、朽ちはじめなのか過去の火災の名残りなのか、幹の下の部分にぽっかりと空いた穴を見て「あの奥は違う世界につながっているに違いない」と想像の世界へ旅したことも。当時はありふれた風景のひとつでしたが、それが永久のものではないことを知ったのは大人になってから。鮮やかな黄緑色の葉が作り出す木陰にすっぽりと包まれた、涼やかで、いま思うと神聖な空間が、好きだったのかもしれません。

 6月の小学生コース特別授業、HITでのこと。1年生のMちゃんは最後の花漢(花まる漢字テスト)で粘っていました。「あと3つ!」立てた指の本数が、彼女の意思を伝えてきます。ひらがなはクリア、漢字もお姉ちゃんと一緒に練習した。カタカナがあと3つ、あとカタカナだけ!「知っている、絶対に書けるはず…!」焦りというより「絶対に埋める!」という決意に近いものを感じました。「最後までやりたい」という強い思いで延長戦へ。自分の名前、家族の名前、身近にあるものの名前を思い浮かべては、書こうとしてどうしても手が止まってしまいます。その度に「あーー」と頭を抱えながら、ふと「裏面を使っていいですか?」と尋ねてきました。もちろん、と返すと、すぐさま裏返して鉛筆を走らせます。書いていたのはカタカナの五十音表。なんとかして思い出そうと、自分ができることを試し続けていました。
 教室では「“わからない”は、自分が成長するチャンスだよ」「終わったあとが大事!」と伝えてきました。大事な場面で自分の力を発揮できるように、通過点の一つとして…という思いでしたが、それをすべて通ってきた大人だから言えることなのかもしれません。子どもたちにとってはその瞬間がすべて。一回一回が「本番」で、全力で体当たりをしているその一瞬でぐんと伸びているんだなと改めて感じた場面でもありました。
 加えて、彼女の姿を見ていて一つ発見がありました。「わからない」は“負”のものではなく、むしろものすごいエネルギーをもっているんだな、と。Mちゃんのように、「絶対にわかるはず!」と向かっていけるものもあれば、未知のものに出逢って「これは知らなかった!おもしろい!」と思えるものもあるでしょう。「わからない」という言葉を想像するとき、感情は “マイナス”に傾きがちですが、見方を変えたり心持ちが少し変わったりするだけで、実はプラスになるものが多いのかもしれません。人生、わからないこと、知らないことだらけ。それに対して悲観的にならずに、むしろそんな世界を慈しんで楽しめたら、これからの人生もずっとわくわくしながら過ごせるような気がします。

 それを教えてくれたMちゃん、五十音表で「テ」と「シ」を思い出し、最後の「マ」はキャラクターの名前でひらめいたようです。「あっ!」という瞬間に味わえる感動は、彼女だけの特権。彼女だけの喜びをかみしめるようにして「うん、できた」とうなずくと、待っていたお姉ちゃんと一緒に帰路につきました。

 あの日々にあった木漏れ日のように、いつか花まるでの一場面として思い返す日がくるでしょうか。花まるで紡ぐ物語は一人ひとり違うものですが、うまくいったことも思うようにいかなかった部分も、そこを乗り越えて成長へつなげていく時間も、一つひとつが子どもたちの経験として積み重なって、前に進み続けるエネルギーになるといいなと思っています。
 「わからない!」こそ、原動力に。花まるで過ごす日々が、その下地となるように。そう願いながら、子どもたちと過ごしていこうと思います。

花まる学習会 久慈菜津紀(2021年)


*・*・*花まる教室長コラム*・*・*

それぞれの教室長が、子どもたちとの日々のかかわりのなかでの気づきや思いをまとめたものです。毎月末に発行している花まるだよりとともに、会員の皆様にお渡ししています。

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