今どうしてる?卒業生物語 【No.21】飯島匠太郎さん

今どうしてる?卒業生物語 【No.21】飯島匠太郎さん

花まる学習会・スクールFC卒業生のその後に迫ります。
第21弾は、事業部長 相澤が、伝説の教え子にインタビュー!

ようこそ先輩! 飯島匠太郎さん
【花まる学習会】新松戸幼稚園教室(小1~6)
 *担当教室長:相澤樹
【スクールFC】本八幡校(小4)
【進路】公立中学校→市川高校→早稲田大学(スポーツ科学部)
【現在】株式会社文化放送 営業推進部

 


■思い出の家出事件
相澤 匠太郎といえば、八王子事件だよ。
飯島 懐かしいです。
相澤 あれは5年生の夏、サマースクールから帰って来たあとの、夏期授業1回目だったな。匠太郎が教室に来ないからお母さんに連絡したら「あれ? 行っていませんか?」って。捜索した結果、なんと千葉から自転車で八王子のおばあちゃんの家に行っていたという。あれはもう、語り草だよ。
飯島 ありがたいです(笑)
相澤 翌日の授業にはすごい反省しているふうの顔で来てさ、お母さんもひとしきり私の前で匠太郎を叱って平謝りしてくださって帰ったあと「で、楽しかったの?」って聞いたら「めっちゃ楽しかった」って。
飯島 ああははは!自販機の下で拾った200円でどう生きるかという冒険ストーリーとして「命の百円玉」と作文にまとめたのも覚えています(笑)
相澤 流山にもおばあちゃんが住んでいるのに、どうして八王子に?
飯島 最初は「東京でホームレスでもして一人で暮らしてやる!」と思ったんです。
相澤 なんだよそれ!(笑)本当に無事でよかったよ。
飯島 ゲームばかりしていることを母に注意されて決行した、壮大な家出でした。あのときは本当にご心配をおかけしました…!

■花まるの思い出
相澤 花まるで印象に残っていることは?
飯島 なぞぺーが一番好きでした。
相澤 おぉ~。やっぱりなぞぺーか。
飯島 解いていておもしろかったし、得意でした。作文コンテストも印象深いです。あの頃の自分の文章をいま読み返すとおもしろくて。
相澤 匠太郎はたしか、学年優秀賞に選ばれたよね。
飯島 先生方に認めてもらえて自信がついて、自分の文章はおもしろいんだと思って書けるようになりました。
相澤 野外体験のことは、覚えている?
飯島 中学1年生までずっと参加していたので本当にいろいろありました。なかでも思い出深いのは、数日間を一緒に過ごしたリーダーが賞状を書いて最終日に読み上げてくれた、あの時間です。リーダーのあたたかさを感じながら数日間の思い出が1つにまとまって、頑張ったことを認めてもらえて、参加してよかったと思える時間でした。
相澤 毎年の野外体験で自己肯定感が磨かれていったんだね。
飯島 野外体験だけでなく花まるでの日々全体を通して、何かができると先生方に認めてもらえたから、生きるうえでの自信がついたと思います。自分にはどこかしらにいいところがあると思えたんです。

■自分と向き合った学生時代
相澤 後輩である花まるっ子たちに伝えたいことはありますか?
飯島 自分の「好き」に突き進んでほしいと思います。僕は学生時代に野球に打ち込んで、選手を辞めたときに「自分が好きなものは本当に野球なのか?」と悩んだ時期がありました。自分の道を決めるときに、自分の好きなものを知っていることは大切だと思います。
相澤 野球にこだわって大学に進んだよね。肘を怪我して投げられなくなって、自問自答した末にマネージャーとした残る選択をしたのは、「本当に野球が好きだ」と思えたから?
飯島 いえ、それは…「意地」ですね(笑)
相澤 なるほど~。あのとき匠太郎が「マネージャーで日本一を目指します」と言ったことが印象深いよ。どこに行っても悲観的にならずに「自分がやれる条件のなかでやるしかないじゃん」とスパッと切り替えられるところがさすがだと思ったんだよな。そして、やり遂げる。
飯島 悩むこともたくさんありましたが、本当に好きかどうかにこだわることの大切さも、一度決めたことをやり抜く価値も学びました。

■お母さんのこと
相澤 匠太郎にとって、お母さんはどんな人ですか?
飯島 とにかく明るい人、ですね。いつも笑っていて、悩みごとがなさそうというか、そういうところを見せなかったんだと思います。いつも楽しそうだな、と。
相澤 匠太郎が安心していろいろなことに挑戦して自信をつけていけたのには、お母さんの笑顔のパワーがあったんだね。

■エンタメ業界への道のり
相澤 いまは、ラジオ局で活躍しているんだよね。
飯島 就活時期に本当にやりたいことが何なのか確信をもてず、大学院に進むことにしました。その時期にお笑いコンビ・オードリーさんのラジオにハマって「そういえば、自分は人を楽しませることが好きだ」と気づいて、大学院の受験を辞退してエンタメの世界を目指すことにしたんです。
相澤 一発ギャグを作っていたよね?
飯島 オリジナルの一発ギャクをスキルシェアマーケットで売ってみたらお笑い芸人の方に買っていただけたり、「一発ギャグ販売師」としてテレビに取り上げていただけたりするようになりました。自分の企画を形にして人を楽しませることのおもしろさを実感して、エンタメの世界を支える作家やディレクターになりたいと思い、ラジオ局を目指しました。まだ駆け出しですが、新しくておもしろいものを生み出せるように頑張ります。
相澤 いやぁ~立派になったなぁ。これからも楽しみだよ。応援しています!
飯島 ありがとうございます!

卒業生の物語カテゴリの最新記事