【花まるコラム】『作り笑いの空模様』西川文平

【花まるコラム】『作り笑いの空模様』西川文平

 これは十年ほど前のこと。 私がまだ入社1年目の頃に出会った、ある男の子の話です。そして、いまだに彼のことを思い出すたびに、ざわざわとした雲が胸に広がっていくような、そんな気持ちを覚える、そういう男の子のお話です。

 彼は、小学6年生の受験生でした。しかし成績は振るわず、やってくるべき宿題はやってこない。ごまかす。平気でうそをつく。授業中は静かに聞くでもなく、しょうもない話にだけは興が乗り、肝心なことは右から左、そんな子でした。相も変わらず、授業中にふざけては、ゲラゲラと馬鹿笑いしている様子を見かねた私は、呼び出して話すことにしました。空き教室に移動し、二人きりになります。すると…さっきまでの笑い顔はどこへやら。すうっと表情は消えていき、うっすらとした微笑みに落ち着くのです。しかし、目は少しも笑っていない。6年生ともなると、一斉授業だけでは寄り添いきれないので、個別での指導や面談も行います。彼と個別に対峙するいずれのときにも出会う、心を閉ざしたことがわかる「作り笑い」。中学受験はぎりぎりまで、勝負がわからないもの。直前の1月から心も、成績もぐんぐん上を向いていく子も少なくありません。ですから、わからないならわからないでいい、できないならできないでいい、お互い心を開かなくてはなりません。お母さんとも何度となく面談を重ねましたが、「もう、どうせダメ」となってしまっておられ、口を突いて出てくるのは、わが子を罵倒する言葉ばかりでした。
 それからも、彼のことを、時には叱り、時には褒め、とにかく声をかけ続けました。しかしながら彼は、その温度のない微笑みをずっと浮かべ続けるままでした。
 ところが、ある日のこと。例によって、授業中に馬鹿騒ぎしている彼を呼び出して、また話をすることにしました。私自身、頭にきていたところもあったので、きつい言葉をかけてしまったということもあったのかもしれません。私の話を聞き終えた彼からは、いつもの作り笑いが消え、そして、ぼろぼろと泣き始めたのです。そして、「なんだかわからないけれど、とてもくやしい」そう言ったのです。私は「くやしい気持ちがあるなら、きっとがんばれる」期待を込めて、そう声をかけました。
 しかし、その日以降、また「作り笑い」の彼に戻り、そして、納得のいく合格を勝ち取ることのないまま、卒業していきました。とぼとぼと校舎を後にする彼を見ながら、彼の抱える虚しさ、哀しさ、悔しさ、そうしたものに少しも寄り添えなかったこと、自分の力不足を猛省しました。

 彼の心は、「底の抜けた鍋」のようなものだったのかもしれません。誰かに寄せてもらった心も、誰かにかけてもらった言葉も、底に開いた穴からこぼれ落ちていってしまう。あの日ふと涙を見せた彼は、そのくやしさを「なんだかわからない」と言いました。もしかすると、彼の心の鍋肌に残っていた、わずかばかりの感情がふっと噴き出してきたのかもしれません。しかし彼自身が、この感情がどこから来るものか、あまりに経験のないことゆえに、「わからなかった」。
 ここでいう「鍋の底」とはつまり、「自己肯定感」や「自己愛」と、我々が呼ぶものなのでしょう。しっかりした「底」のある子は、心や言葉をじっくり煮込むことができるのです。彼の心は、ずっと空焚きされていたのかもしれません。

 たしかに晴れているのに、雲がやたらに多くて、ちっとも晴れている気がしない。まさに、作り笑いのよう。このコラムを書いている今日は、そんな空模様です。彼はいまも、あの寂しげな作り笑いを浮かべているのでしょうか。一度抜けてしまった鍋の底は、もう二度と埋まることはないのでしょうか。それとも、力不足だった私に代わり、素敵な人に出会い、雲ひとつなく晴れ渡る空のような、そんな笑顔でいまを生きているのでしょうか。

 そんなことを考えていると、ぽつぽつと雨が降ってきました。

スクールFC/花まる学習会 西川文平(2022年)


*・*・*花まる教室長コラム*・*・*

それぞれの教室長が、子どもたちとの日々のかかわりのなかでの気づきや思いをまとめたものです。毎月末に発行している花まるだよりとともに、会員の皆様にお渡ししています。

 

花まるコラムカテゴリの最新記事