小学生コースの子どもたちに、「1か月後に花漢(花まる漢字テスト)があるよ」と受検級が書かれた紙を渡しました。すかさずあがる「漢字きらい」の声。勉強がきらい、漢字がきらい、算数がきらい、作文がきらい…授業をしていると、得意・好きだけでなく、苦手・きらいといった声も聞こえてきます。
「作文がきらい」と言った3年生のTくんに、「何がいやなの?書くこと?何を書こうか考えること?」と聞いてみました。少し悩んでTくんは、「思い出せない」と言いました。なるほど、苦手意識はそこか、と思いました。作文は何か思い出を書くだけのものではないから、自分の気持ちとかを自由に書いてもいいし、自分でお話を作ってもいいんだよ、と伝えました。すると彼は、低学年男子ならではの発想で突拍子もない自作のお話を書くようになったのです。
そして先日の国語大会。「花まる」をテーマに川柳を作るゲームがありました。子どもたちの花まるへの想いが感じられる、楽しく和気あいあいとした時間になりました。Tくんは何をテーマに書くのかな、と手元をチラッと見てみると、何と作文について書いていたのです。
「さくぶんを かくのせかいいち つまんない」
正直でいいね!おもしろい!と思わず笑ってしまいました。どうしても「せかいいち」ということばを入れたくて、講師と一緒に考えたようです。Tくんはにやっと笑い、また作文をテーマに川柳を作ろうと、どういったことばなら五・七・五にできるか考え始めました。
好きだから頑張れる、ということはよくありますが、「きらい」という負の感情もエネルギーになることを実感した出来事でした。
先日、「芸術大学の入試面接で、きらいな作品を聞かれた。あとから教授に理由を聞いたら、何かをきらいな理由にこそ本人の個性がある、と言われた」という内容のSNS投稿を見ました。その教授曰く、「こうありたくない」という強烈な動機が才能を際立たせるのだそうです。芸術分野についての話ではありますが、好ききらいの本質をついているような気がしています。
好きな理由を深掘りして考えることは、案外難しいものだと子どもたちを見ていて感じます。「何で好きなの?」と聞いても、「何となく」という返事が一番多いです。ほかのものを知らないと比較して好き、ということもできません。「好きだから好き」という感覚なのだと思います。
また、他者を知って、他者と比較して初めて自分を知ることがあると思いますが、低学年期の子どもたちは、自分を俯瞰することはほとんどありません。自分の好きなことは「当たり前」でどうして好きかなんて考えていないこともあると思います。
私はスタジオジブリの映画が大好きなのですが、それに気づいたのは、実は友達があまりジブリ映画を観ていないと知った小学校高学年のときでした。
「何で好きなの?」と聞くよりも、「何できらいなの?」と聞いたほうが、子どもたちからたくさんのことばが返ってきます。子どもたちは語彙が少ないため「きらい」としか言えないのですが、うまく言えないだけで彼らなりの理由があるのです。
きらいだから、克服できるように頑張ろう、と思えることもあるでしょう。子どもたちには、「苦手・きらいは思い込みだよ」と伝えていますが、本格的に「きらい」となった場合、そのエネルギーを転換できる方法をひとりの大人として伝えたいと思っています。子どもたちの「きらい」も大切にして、どんなことなら楽しく前向きに取り組めるのかを考えることが、私の仕事なのだと。作文がきらいと言ったTくん。「好き」になるところまでは至っていませんが、「きらい」とも言わなくなりました。いまはそれでいいと私は思っています。
「好きの反対は無関心」といったことばをマザー・テレサが残しています。「きらい」ということは、何かしら心が動いている証なのです。
花まる学習会 田畑敦子(2022年)
*・*・*花まる教室長コラム*・*・*
それぞれの教室長が、子どもたちとの日々のかかわりのなかでの気づきや思いをまとめたものです。毎月末に発行している花まるだよりとともに、会員の皆様にお渡ししています。