【花まるコラム】『1対1の時間』水野青空

【花まるコラム】『1対1の時間』水野青空

 家族の思い出。そう言われて思い出そうとすると、父と私、母と私、弟と私、と家族それぞれと2人で行動したことを思い出すことが多いです。
 もちろん、家族みんなで8時間車に揺られたことや、誕生日パーティーをしたこと、進路のことで喧嘩をしたこと、弟の作品が文集に載ってお祝いしたこと。たくさんあるのですが、一番に思い出すのは、誰かと私の思い出。それは長女だからなのか、私個人の記憶の問題なのかはわからないのですが、1つはっきりしているのは、私にとって、それぞれと2人きりで過ごした時間が特別だということです。 

 幼稚園の頃か、小学校の頃か定かではないのですが、とにかく天気のいい昼下がりのこと。家の前で縄跳びの練習をしていました。なかなかうまく跳べずに四苦八苦していたことは覚えています。
 走る・跳ね回ることは大得意なおてんばだったのですが、どうにも道具を使った運動はうまくいきません。縄跳びの縄を回しては踏んで、脛にぶつけて。縄を元に戻すにも、どうしてそんなに体に絡まってくるのだろうと、幼い私なりには一生懸命練習していました。
 横で見ていた母が、笑っていました。明るい、眩しいくらいの太陽の元で、母が
「見ててごらん」
と言って私から縄跳びを受け取り、前回りに10回ほど跳んで見せてくれました。短い子ども用の縄跳びなので、おそらく長さの調整などもしたと思うのですが、そのあたりのことは頭からすっかり抜けています。見てて、のあとには、「ほっ、ほっ」と楽しそうに、軽やかとまではいかなくても、幼い私から見てとても上手に跳んでいる姿を覚えています。
 その記憶のなかに2つ年下の弟はいなくて、弟が家のなかにいたのか、出かけていたのか、離れたところで遊んでいたのかも覚えていません。
 覚えているのはこれだけなのですが、大人である母が縄跳びをしている姿にとても驚きを覚えながら見ていました。縄跳びは子どもの運動道具だと思っていたからこそ、そう感じたのでしょう。
 それ以上に、お母さんが、私1人のために、縄跳びを教えてくれたことが何よりも嬉しくて私の記憶に残っています。何時間もかけたわけでもなく、たった10回の前回りをするだけの時間。私のうまく跳べない縄跳びを見て「あはは」と笑いながら、見せてくれたこの数十秒が、大人になっても幸せな記憶として頭に残っています。

 また、父との思い出といえば、誕生日に映画に連れて行ってもらったことです。必ず誕生日は2人で映画に行く、ということが小学生の頃2年連続でありました。なぜ2年で打ち切られた『特別』だったのかはよく覚えていません。なんと、一番思い出に残っているのは、混雑している映画館のカウンターで、「誕生日だから」とお菓子を買ってくれたことでした。チョコレートのお菓子で、いまでもそのお菓子のパッケージを見ると、暗い映画館と、大きな迫力満点のスクリーン、そして大きな椅子に埋もれる自分の体と、右側に感じる父の存在を思い出します。映画全編を覚えているわけでもなく、どんな会話をしたかも覚えていないのですが、普段は甘やかしてくれない父がお菓子を買ってくれたこと、私1人を連れて遠出してくれたことが嬉しかったのです。

 家族での特別な思い出はたくさんあります。けれども、なんてことのない短い時間の記憶がこれだけ『幸せ』なものとして残っていることは、大人になったいま振り返ると、とても不思議です。家族は特別なものですが、こうして何気ない日常で愛情を感じられたことが嬉しかったのでしょう。
 きょうだいがいると、どうしても子どもと1対1の時間がなくなってしまう。それが心苦しい、というご相談をうけることがあります。ただ、特別な時間は日常にあふれているのだと、こうして思い返してみたときに感じます。2人きりになったとき、そっと頭を撫でた、そんな瞬間がお子さまにとっての幸せな記憶になるのかもしれません。

花まる学習会 水野青空(2021年)


*・*・*花まる教室長コラム*・*・*

それぞれの教室長が、子どもたちとの日々のかかわりのなかでの気づきや思いをまとめたものです。毎月末に発行している花まるだよりとともに、会員の皆様にお渡ししています。

花まるコラムカテゴリの最新記事