いつものように扉の前で子どもたちを迎えていると、2年生のKくんが私のところに歩み寄ってきて言いました。
「先生、たんぽぽの『論語』、覚えてきたよ!」
古典素読教材のたんぽぽ。長い時代を越えて残り続けている美しい文章(古文・漢文・詩歌等)を、言葉のリズムや語感を味わいながら音読し、最終的には暗唱することを目的とした教材です。また基礎教養として、大人になるまでには知っておいたほうがよいものばかりを集めています。
Kくんは、その日の授業から練習を始める12月の課題「論語」を覚えて、完璧に暗唱できるようになったということを私に伝えたかったのです。
瞬時に前週の授業の記憶が蘇りました。
11月のたんぽぽの課題は「草枕」。「もう暗唱ができる」という自信のある子に対して、一人で挑戦をしてもらう時間を設けました。すでに暗唱が完璧にできていたとしても、立って一人で発表するということは、また別次元のハードルが存在します。そこに、果敢にチャレンジしたのが3年生のAくんと2年生のKくんの二人でした。先にチャレンジした3年生のAくんは見事に暗唱を終えて、大きな拍手をもらっていました。迎えたKくんの番。やはり、いつもは読めていても重圧がかかると忘れてしまったりするものです。残念ながら途中で完全に止まってしまい、これ以上は難しいと判断してそこで終了。それでも勇気をもって発表してくれたことを称えて、着席してもらいました。しかし、着席した瞬間に机に突っ伏して悔しさを露わにするKくん。同じテーブルの子たちが励ましてくれるのですが、やはり相当悔しかったのでしょう。次に顔を上げたとき、涙をこらえた目は真っ赤でした。ただ、Kくんの良さは、次の課題が始まると授業に戻り、すぐに手を挙げて発表しようとするところ。この、悔しさを引きずらないで切り替えられるしなやかな回復力は、本当に子どもらしくていいな、とそのときは見ていましたが…。それは私の見立てが甘かったと、いま目の前にいるKくんの言葉を聞いて思い知らされました。表面上は強がって切り替えたようには見せていたのですが、最後まで読めなかったことは、それからずっと悔しかったのです。その悔しさを糧に、今日から練習を始める12月の「論語」を暗唱できるように家で仕上げてきたのです。「よし、わかった。いま、聴いてあげるから読んでごらん」と促すと…。
「論語、孔子。子曰く…七十にして心欲するところに従って矩を踰えず」
「すごい!お見事!!」
「やった~!先生にすごいって言ってほしくてずっと練習してきたんだ。学校にたんぽぽを持って行って休み時間も練習して、この一週間ずっとたんぽぽを読んでいたよ!」
「もしかして、草枕も読めるようになった?」
「もちろん」
と、自信満々に答えるKくん。先週あれだけ出てこなかった言葉がサラリと出てきて、あっという間に読み切りました。これはもうみんなの前で発表してもらうしかありません。いまかいまかと逸るKくんをなだめ、満を持してみんなの前に立ってもらいました。期待に満ちた眼差しがすべてKくんに集中しています。ゆっくりと「論語」を読み始めました。静寂のなか、たんぽぽを広げている子どもたちの頭だけが頷きで一斉に揺れています。「…矩を踰えず」見事完走。教室中が今年一番の歓声で沸きました。
Kくんの素晴らしさは語るまでもありません。悔しさをバネにする子の好例です。たかが暗唱かもしれません。しかし、誰に言われるでもなくこだわれる強さ。そこに彼が大切にしている生き方が見えるから、されど暗唱なのです。できなかったことができるようになる。そこに自分の成長の実感があるから、腹の底から喜べる。悔しさを決してそのままにしない。これができるKくんの未来は明るいでしょう。
また、もう一つ大事なことは、Kくんを見てクラスの多くの子たちが「私もチャレンジする」という意欲が喚起されたということだと思います。
子どもたちの世界で起こる事象はなかなかおもしろいもので、誰か一人が重たい扉をこじ開けると流れがしばらく続きます。なぜか。
それは純粋に「自分もできる」と思える素直さがあるからだと思います。
花まる学習会 相澤樹(2021年)
*・*・*花まる教室長コラム*・*・*
それぞれの教室長が、子どもたちとの日々のかかわりのなかでの気づきや思いをまとめたものです。毎月末に発行している花まるだよりとともに、会員の皆様にお渡ししています。