【花まるコラム】『子どもの心』北丸隼己

【花まるコラム】『子どもの心』北丸隼己

 とある幼稚園教室の年長コースの授業後。その日は身も凍えるような寒い日で、プランターに溜まった茶色に濁った雨水に大きな氷が張っていました。それを見つけた子どもたちは大興奮。濁った水のことなど気にせず「凍ってる!」とみんなで触ったり、取り出したり、割ったりとパッと、笑顔になりました。

 また別の教室の年中コースの授業。その日の授業は自分の手や足、持ち物を鉛筆でなぞって型を取る「型取り」。さっそく自分の手や足で挑戦するなかで、どの子も足の型を取るときに靴下をパッと脱いで裸足になり、型を取り始めました。

 子どもたちは元々、このように自分が「知りたい!」と思ったことにまったく抵抗なく挑戦し、さまざまなことを発見していきます。絵の具を使うときは、手のひらに塗っている感じをおもしろがったり、「塗ったらどうなるのかな!」と手を絵の具でべたべたにしながらその感触を楽しんだり、「ひんやりする!」と絵の具が冷たいということを発見したりしていました。

 この様子を見て「ああ、私は大人の考えになってしまっているな」ということを思いました。「あの水汚そうだから触りたくない」「型を取るときに靴下まで脱ぐのは、面倒だし寒いな」「絵の具をつけたら洗わないといけないな」。いま学ぶということではなく、あとのことを考えるようになっていました。

 子どもたちは新しいことを学ぶのに前向きで純粋に楽しむことができるのに、自分はいつからこう思うようになってしまったのか。

 昔を思い返すと、よく裏山の森や家の近くの古墳のまわりで鬼ごっこをして遊んだり、通学路にあった草原を走り回ったり、引っつき虫が大量に服につくのがおもしろくて自分からくっつけに行ったりしていました。

 カマキリの卵を裏庭で発見したときは、カマキリの卵から赤ちゃんが孵るのが見たくて「いつ、赤ちゃんが出てくるんだろう」と毎日裏庭を見に行きました。孵化する瞬間を実際に目にしたときは、不思議さと嬉しさと、少し不気味で気持ち悪いなと感じました。工事用の土砂が堆積しているところにみんなで森をかき分け忍び込み、団地に沈んでいく夕焼けを眺めてとても感動したこともあります。その後、あまりにも感動して母に夕焼けの話をしてしまい、忍び込んだことがバレてこっぴどく叱られました。私の身を案じてくれたことなのだと、大人になったいまならわかりますが、その頃の私は「やりたい」という気持ちだけで動いていました。

 大人になるにつれ、先のことが考えられるようになったからか、水が汚いから触らないでほしい、その色とその色を混ぜたら汚くなってしまうなど、行動する前に頭だけで考えるようになったような気がします。

 子どもの頃のことを思い起こすと、自分が「したい!」と実際に行動してみた先に大きな発見がありました。

 子どもが持つ好奇心のままに、心で行動するからこそ大きな発見や学びが心に刻まれる。大人の思考で、やる前にストップをかけるのではなく「やってごらん!」と背中を押せるような人であり続けたい、と子どもたちの様子を見て思いました。

花まる学習会 北丸隼己(2021年)


*・*・*花まる教室長コラム*・*・*

それぞれの教室長が、子どもたちとの日々のかかわりのなかでの気づきや思いをまとめたものです。毎月末に発行している花まるだよりとともに、会員の皆様にお渡ししています。

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