「サボテンを持ってくるのを忘れました」と、ある4年生男子が言いに来ました。普段のかかわりから察するに、本当に忘れたんだろうなと想像がつき、次週持ってくる約束をしてその日は終えましたが、翌週もまた「持ってくるのを忘れました。毎日やったんですけど」と私に言いに来ます。2週連続とは珍しいこともあるものだと思いつつ、必ず次は持ってくるようにと伝えました。
その後、彼のお母さまと話をしたところ「別の習い事の鞄から手つかずのサボテンが出てきた」という事実を耳にします。「いままでちゃんとやっていたから信じていたんですけど、どうしたらいいのか」とお母さまは気持ちを吐露されました。
正直、驚きました。「持ってくるのを忘れました。ちゃんと毎日やったんです」という彼の言葉。それは彼がついた嘘です。私は、彼に何を伝えるべきか。深く迷い、深く考えました。
3週目。「持ってくるのを忘れました」と一言私に言う彼は、いままでとは異なり反省の色が見られず、陽気に取り繕っているようでした。「やっているんだよね?」と聞くと、「やっています。今日は忘れただけです」と。「本当に忘れただけか?」と真剣な眼差しで聞き返すと、間をおいて涙目になりながら「…失くしました…やっていません」と言葉にしました。
「本当のことを言うと、やっていないこと、知っているんだよ。他の習い事の鞄の中に入っていたって、聞いている」
しばし、無言の時が過ぎます。「先生がショックだったことはさ、やっていなかったことじゃなく、その場しのぎの嘘をつかれたこと。と、すぐにバレる嘘をつかなきゃいけないような状況を先生がつくっちゃたこと。本当に申し訳ないし、悔しくて、悲しい」
「失くしたのか、隠したのかはわからない。真実なんてどうでもよくて、君が失くしたと言うなら、先生はそれを、ただ信じる。いままで花まるの授業も宿題もちゃんと向き合ってきたことを見ている。君の行動をずっと見てきたから、先生は君を信頼している」
「4年生になって宿題が増えたなか、ここまで本当によくやっているよ。すごいよ。これからはさ。わからないな、できないなって困ったとき、正直に話してほしいと思うし、この先生なら話してもいいかもと思える先生になりたいと思う」
私からの話を黙って聞いていた彼は、大粒の涙を流します。
「逃げないことだよ。君ができることはよく知っている。必ずできる。だから、自分の弱いところから逃げないことが大事なんだよ」
彼は無言のまま、教室を後にしました。
翌週。彼は宿題をやってくるのだろうかと、私は不安を抱えながら当日を迎えました。教室にやってきた彼はどこか憑き物でも取れたように軽い足取りと声で私に挨拶をします。「宿題、ちゃんとやってきたよ」と、さも“当たり前のことをやっただけです”と言わんばかりの声。先週、流した大粒の涙はどこへやら。ただ、彼の眼差しから力強さを感じました。
後日、お母さまと話をした際、こんなことを教えてくださいました。「先生と話をした日、自分から宿題をやっていなかったことを正直に話してくれたんです。その後、進んで宿題を始めて…。『先生が信じてくれているし…先生のためにも頑張らなきゃな~』と前向きに話してました」
「何のために勉強するのか」
そういった問いは子どもたちの中に芽生えます。大人も一度は考えを巡らせたことがあるでしょう。「自分のため、将来のため」という答えを言いがちになることもあるかもしれませんが、それがすべてではありません。答えは様々ありますし、もしくは明確な答えなどなく、その時々で変わるもののように思います。
何のために勉強するのか。答えの一つに「自分に期待してくれる人のため」という考えもあることでしょう。信じてくれている人の期待に応えたいという思い。親であったり、友達であったり、先生であったり。自分のことを愛し、信じてくれている人がいるから、「やってみよう」と思える。
私は、子どもたちにかかわる一人の大人として、「君はできる」というメッセージを常に送り続けます。その思いと言葉が、子どもたちが“何か”に向き合う原動力になると、信じています。
花まる学習会 石須孝志(2021年)
*・*・*花まる教室長コラム*・*・*
それぞれの教室長が、子どもたちとの日々のかかわりのなかでの気づきや思いをまとめたものです。毎月末に発行している花まるだよりとともに、会員のみなさまにお渡ししています。