子どもたちを観察していると「真似をすること」で多くを学び、自分のものにしていることに気づきます。年中・年長・低学年クラスの初回授業では、授業中のやくそくとして「見る・聞く・姿勢・はい!・鉛筆(の持ち方)」を確認しました。「Rちゃん、背筋が伸びていてかっこいい姿勢だね!」と声をかけると、多くの子がその子を見て真似をします。自分の名前が呼ばれると嬉しくてさらに意識して取り組みますし、ほかの子たちも「次はぼくが・わたしが呼ばれたい!」と少しずつよくなっていきます。
今月のたこマン(1コマ目の絵を見て、2コマ目のオチを考える教材)では、1人の子の発表をきっかけにオチがどんどん発展していきました。1枚目に描かれていたのは、雨漏りしていて、水で部屋が濡れないように子どもがバケツで受け止めている場面。このあとどうなるか、簡潔で楽しいオチを考えて発表し合い、発想力を鍛えます。
Yくんが「バケツがいっぱいになって雨を受け止めきれず、川になった」と言いました。すると、「バケツで雨を受け止めきれなくなって、海になった」「バケツで雨を受け止めきれなくなって海になり、大きな魚に食べられた」「バケツで雨を受け止めきれなくなって海になり 、違う国に流されてしまった」と、Yくんの発表をもとに話が広がっていきました。まったく違う切り口でオチを発表する子もたくさんいますが、このように、誰かの発表をヒントに発想を広げていき、クラスみんなで盛り上がることはよくあります。
友達の発表に自分のアイデアを加えることで、それはもうその子自身が考えた新しい発想になります。世の中に、ゼロから考えられたまったく新しいものなどほとんどないのではないでしょうか。既存のものにいままで誰も気づかなかった視点を少し加えることで、まったく新しいものやサービスにつながることがよくありますよね。コロナ禍になってから、異業種のコラボやM&Aが増えたというニュースも目にします。
時々、「それ、さっきのオチとほとんど同じだよ」という子もいます。そのようなときは、「それでもいいんだよ。自分の考えや伝えたいことを発表できたことが先生は嬉しいよ」と伝えています。「真似や同じようなオチはダメ」と言ったら、前向きに発表できなくなってしまうからです。真似をしたつもりはなく、夢中で考えた結果、友達と同じようなオチを思いついたということもよくあることです。
もしかしたら、「真似すること=カンニング」のイメージが強く、良くないことだと思っている子もいるかもしれません。花まるでもカンニングをしていたらもちろん声をかけますが、テストでのカンニングとアイデアを発表し合って発想を広げることは違います。
以前、年中コースで隣の子の真似をきっかけに、字や絵に興味をもった子がいました。元々、自ら進んで字や絵を描くことをあまりしなかったSちゃん。思考実験でうつし絵をおこなったときのことでした。隣の子に「一緒にすみれの表紙をなぞろう!」と誘われ、女の子同士仲良く話しながら、すみれの表紙を描きはじめました。同じものを写し、同じ色を使いながら塗っていましたが、鉛筆を動かす線の方向の違い、色の濃淡や塗り方の違いが出て、それぞれがまったく違うオリジナル作品になっていました。完成した作品を見せ合いながら、Sちゃんはとても楽しそうでした。両方ともとてもかわいらしい作品だったので、みんなの前で発表しました。「世界にたった1枚の絵だね」と言いながら渡すと、少し恥ずかしそうにしながら、とても嬉しそうでした。Sちゃんはこの思考実験をきっかけに、翌週以降、授業が始まる前は楽しそうに絵を描くようになりました。
学ぶは、「まねぶ(学ぶ)」と同源で、「まねる(真似る)」とも同じ語源なのだそうです。そもそも、人間は生まれてから、体を動かしたり、話をしたり、食事をしたり、あらゆることを大人やまわりにいる人の真似をして学び、できることを増やしていきます。真似をすることも立派な認知能力の一つ。たくさんのことを真似て、一人ひとりの個性や魅力につながる土台をかためていって欲しいと願っています。
花まる学習会 日下部龍(2022年)
*・*・*花まる教室長コラム*・*・*
それぞれの教室長が、子どもたちとの日々のかかわりのなかでの気づきや思いをまとめたものです。毎月末に発行している花まるだよりとともに、会員の皆様にお渡ししています。