今年も一年、「先生」として過ごすことができました。何年経ってもゴールはなく、正解もない。それが教育の難しさであり楽しさだと、日々試行錯誤しながら感じています。最近、自分の「教育観」について向き合うことが何度かありました。そんなときに私が思い出すのは、1年生から6年生まで担当した男の子のことでした。
「デコボコ」していた彼。1年生で受けた体験授業では、新しい環境にパニックを起こし教室中を駆け回りました。思考力はずば抜けていた一方で、周りとのコミュニケーションに難しさを感じることが多くありました。そこが本人、両親ともに悩みの種だったのです。
ただ、光る部分はピッカピカに輝いていました。その一つが文章力。彼が毎週教室で書く作文は、ある日からずっと、一つの長編物語でした。書いた作文は一度こちらで預かり、添削して返却します。そのため、以前のものが常に彼の手元にあるわけではありません。でも、彼の作文は必ず「前回はこうだった。今回は~」から始まります。前週までの内容も、これから先の展開も、すべてはもう彼の頭のなかでできあがっているようでした。そんな彼の作文を、教室で配るおたよりに載せたことがありました。毎月、配付日には教室に着くと真っ先におたよりを開くほど楽しみにしていた彼。その日もいつも通りおたよりを開くと、「のってる!のってるよーー!!!!」大興奮。喜びのあまり、自分の作文の題名を鉛筆でひたすらグルグル囲んでいました。
しかし、その話が完結することはありませんでした。最終回もなく、突然終わった彼の物語。5年生最後の授業で彼が作文に書いたのは、たった一言でした。
「来年こそは普通になりたい」
かける言葉が見当たらない。私には、そのまま受け取ることしかできませんでした。戸惑う私の様子を察してか、「聞いてください」。そう彼が切り出しました。
「来月、学校で校外学習があります。心配です。僕は泊まりになんか行きたくありません。前に行ったときは体調を崩したし、ドキドキして一週間前から便秘になりました」
話し出すと止まらない。でも、よくよく聞いていくと、どうやら彼の悩みの根源は、泊まりそのものというより学校の人間関係にあるようでした。
「花まるは、そんなことないんです。そんなことないんですよ。でも学校の子たちはみんなブラックです。女の子は優しいけれど、男の子たちはこぞってぼくが言ったことに対して、何か言ったり殴ったりしてくる。学校の先生も、そんなぼくに出て行けとか、あっちの部屋に行けとか言うんだ。世界のみんなが敵のように見える」
彼は元々、感受性が豊かな子。それまでは気づかなかった周りの目に対し、意識が向くようになったのでしょう。
「あなたはあなたのままでいいし、普通になんてならなくていい。けれど、相手の良いところを見つけられると人生がさらに豊かになる」
そう伝えました。すると彼は、
「いまはブラック99、いいところを見つけよう1です。それでもいいですか?」
と言いました。大きく頷く私に対し、続けざまに
「じゃあブラックが50、いいところを見つけようが50を目指せばいいんですね!でも、やってみてもやっぱりみんなブラックだったらどうすればいいですか?」
と質問してきました。
「そうしたら先生が友達になるよ。いつでも、あなたはあなたらしくていいんだよ」
私がそう言った次の瞬間、彼はこう言いました。
「低学年のときみたいに、いいですか?」
そして彼は、私の胸で泣きました。
「わーん、つらいよ。つらいよー」
大きな声で泣きました。 背中をトントンしたら、
「……あっ、もう少し優しくお願いします」。
意表を突く一言に、思わず吹き出してしまいました。でも……。おそらく本能的に「優しさ」を求める彼の一言に、私の心もズキンと痛みました。
「ずっと言えなくて、吐き出せなくて、つらかったよね。よく頑張ったね」
そう言いながら、彼の頭を優しくなでました。
確かに生きづらい世の中かもしれない。私のように、自分が普通でしかないと思って悩む人もいるかもしれない。そもそも、普通って何だろう?普通がいいの?普通じゃなきゃダメなの?そもそも、普通の人なんて存在するの?
答えの出ない問題。けれどいつかはみんなが歩み寄って、少しでも生きやすい世の中になったらいいなと思います。少なくとも花まるは、そういう子どもたち一人ひとりの「ありのまま」を、真正面から受け止める場所でありたいです。
花まる学習会 北澤優太(2022年)
*・*・*花まる教室長コラム*・*・*
それぞれの教室長が、子どもたちとの日々のかかわりのなかでの気づきや思いをまとめたものです。毎月末に発行している花まるだよりとともに、会員の皆様にお渡ししています。