長男が今年の8月で6歳になります。ついこの間まで私の手を握りながら小さな足で一生懸命歩いていたはずなのに、いまは走ってずっと先まで行ってしまうようになりました。保育園の帰り道、いつも通る公園に友だちを見つけるやいなや「行ってくる!」と豆鉄砲のように仲間のもとに飛び込んでいく。巣立ちに向けて一歩一歩進んでいて、嬉しいような寂しいような気持ちに駆られます。長男が成長するのと比例して、私の知らない彼の世界が広がっていきます。長男が私を頼ってくるのは、何かを聞いてもらいたいとき。嬉しいこと、悲しいこと、困っていること、私に伝えたくて一生懸命言葉にしているようです。私はそれを聞いて、対話をし、受け止めるだけ。私と話をしても納得のいかないことや消化できないことはあるでしょう。(ママわかってないね)という表情を見せるときもあるけれど、また挑戦する姿やどこかスッキリとした表情を見て、きっと私は長男にとって安心基地になっているのだろうと感じるのです。
ある夏の日、私は初めてサマースクールに参加する小学2年生のRちゃんと出会いました。お母さんに笑顔で「行ってきます!」と出発し、日中は楽しく遊んでいました。様子が一変したのは、夕食の時間。シクシクと泣き声が聞こえるほうを見ると、「おうちに帰りたい」と涙を流しているRちゃんがいました。ホームシックです。次第にごはんが喉を通らないくらいの号泣になり、寝るまで常に涙が頬を伝っている状態。ホームシックは初日を乗り越えるとほとんどの子が落ち着いてくるのですが、Rちゃんは違いました。翌日も日中はお友達と楽しく遊んでいるのですが、夕食時になると涙が止まりません。そうこうしているうちに、夜の活動の時間に。その日は懐中電灯を握りしめ、夜の森を歩く「勇気の探検」の日。「ちょっと外の空気を吸いに行こう」と泣いて部屋から出ないRちゃんを何とか連れ出し、ゆっくりと、二人で手をつなぎながら歩きました。暗い森のなか、「おうちに帰りたい」「明日、帰れるよ」「いますぐ帰りたい」ずっとこの繰り返し。
サマースクール数日前、私はRちゃんのお母さんと電話で話をしていました。一人でお泊りをしたことがなく、大好きなおばあちゃんのお家でも一人はいやだと帰ってきてしまうこと。でもどこかで挑戦させたくて、Rちゃんと相談して参加を決めたことを教えてくれました。「ご迷惑をおかけすると思いますが、どうぞよろしくお願いします」言葉一つひとつから、覚悟を決めて娘を送り出したお母さんの気持ちを感じました。そのことはRちゃんに伝えよう。そう思ってお母さんから聞いたことを伝えました。「お母さんはいま離れているけれど、Rちゃんのことを応援しているよ」話が終わり、少しの無言のあと、足元にあった石を拾ったRちゃん。「この石、お母さんへのお土産にしていい?」そう言ってポケットに石を入れると、また歩き出しました。もう頬に伝う涙はなく、帰りたいという言葉もありませんでした。Rちゃんはそのとき、サマースクールをやりきること、そして帰ったらお母さんに石をあげることを決めたのだと思います。おうちにいるお母さんの存在を感じながら、Rちゃんは2泊3日のサマースクールを乗り切りました。
先日の2歳クラスでは、親のトークタイム中に子どもたちだけであそびを楽しむ様子が見られました。1歳のときはお母さんの傍にいた子たちも、いまでは自分のあそびに夢中になっています。子どもたち同士でコミュニケーションを取り、何か揉めごとがあれば自分たちで解決しようと試行錯誤する。お母さんの存在が心にあるから、安心して自分の世界に夢中になっていたのでしょう。トークタイムが終わると、またお母さんのもとに嬉しそうに帰っていきました。子どもたちは、親にくっついて安心すると、外に向かい出す。そしてまたくっつきにいく。安心して、冒険して、また安心しに戻ってくる。次第に冒険の時間が長くなっていき、自分の人生を歩んでいく。子どもたちが巣立つとき、物理的に近くにいなくても、「心はいつも一緒」そう感じてくれたら。そう思いながら子どもたちがくっついてきたときには抱きしめる日々です。
花まる学習会 和田真理子(2022年)
*・*・*花まる教室長コラム*・*・*
それぞれの教室長が、子どもたちとの日々のかかわりのなかでの気づきや思いをまとめたものです。毎月末に発行している花まるだよりとともに、会員の皆様にお渡ししています。