2年生Mちゃんのお話です。毎回、作文の時間になると「書くことな~い」と言いいます。確かに、日常を振り返り言語化することは、低学年の子どもたちにとってハイレベルなことです。私自身、大人になったいまでも作文用紙を渡され「書いてみてね」と言われたら、身構えてしまうと思います。「今日は何もなかったから作文に書けない」という声は教室でよく聞きます。それでも、子どもたちは日々の出来事を言語化し、作文として書き上げています。それはまさに自分の言葉で作り上げた芸術作品だと私は考えています。
Mちゃんの話に戻ります。彼女は書くことがないと言っていましたが、話を聞くと、「ドッジボールをした!なかなか当てられなかったなぁ」「学校の先生がね、おもしろいの。言うことと逆のことをするんだよ」と、学校のことや友達と遊んだことをたくさん話してくれました。そのときの彼女の表情はキラキラしていて、心から楽しいと思える出来事だったということが伝わってきます。さらに話を聞くと、不満に思っていることやちょっといやなことも話してくれました。学校という社会の中で生活していれば、不満の1つや2つ、ありますよね。花まる学習会の作文では、このようないやなことや不満に思っていることを書いてもいいのです。それも自分の内に秘める気持ちであり、言葉にすることで自身を知ることができます。だから私は「そういうことも書いていいんだよ」と声をかけました。ですがやはり「書くことない」とつぶやきます。書けない理由がほかにあるのかと思い、「何かいやなことがある?」と聞いてみると、「お母さんに怒られる」と言いました。そういうことだったのかと、彼女の核心に触れることができました。
「怒られるのがいやだ」という理由から、なかなか鉛筆を走らせることができないMちゃん。でも私は見てしまったのです、あのキラキラと目を輝かせたり、表情がぐにゃっと変化したりする彼女を。それは彼女の心です。「もっとMの心を見たい、もっとMの言葉を知りたい」と思い、「どんなことでも書いていいんだ。Mが書きたいことを書いていいんだよ。Mらしい作文が読みたいな」と伝えました。Mちゃんは「え?こんなことでもいいの?」と言いたそうな表情です。まだ鉛筆を持つ手には迷いがあります。本当にこれでいいのか、こんなことを書いていいのだろうかと考えていたのでしょう。いいのです。冒頭でも述べた通り、作文は子どもたちの芸術作品です。その子自身の心が映し出される、かけがえのない作品です。だからこそ「Mの作文を読みたい」と声をかけました。心の底から読みたいと思っていたので、自然と口から出ました。その直後です、Mちゃんは鉛筆を走らせました。「じゃあ書いてみる。ドッジボールのこと書こうかな」ニコニコと太陽のように輝くMちゃんがそこにいました。
子どもたちの作文には、意味がわからないことが書かれていることもあります。だからといって「わかるように書いてね」と伝えることはしません。それは子どもたちの言葉です。その瞬間に生まれた言葉だからこそ、尊重したいのです。語彙が少なかったり、言い方がわからなかったりすることもありますが、子どもたちは、その限られた状況で言葉を探し、組み合わせ、自分の言葉を作り上げています。その積み重ねが「自分自身」を形成し、「個性」となります。
言葉が自分自身を作るからこそ、私は作文の時間を大切にしています。子どもたちが一生懸命考えて書く時間は、子どもたちにとってかけがえのない時間です。その時間の積み重ねが子どもたちの人生を彩ります。私はこれからも子どもたちに伝え続けます。
「あなたが書きたいこと、言いたいこと、したいことを、あなたらしい姿のままで書いていいんだよ」と。
花まる学習会 菊地健斗(2022年)
*・*・*花まる教室長コラム*・*・*
それぞれの教室長が、子どもたちとの日々のかかわりのなかでの気づきや思いをまとめたものです。毎月末に発行している花まるだよりとともに、会員の皆様にお渡ししています。