最近、心を揺さぶられるできごとがいくつかありました。一つは、先日の発表会で子どもたちがいきいきと表現する姿を見て。もう一つは、ジャズピアノの大巨匠チック・コリアの訃報と、彼の最期の言葉を読んで。
―――私とともに旅をし、音楽の火が燃え続けるのを助けてくれた人たちに感謝したい。私の願いは、演奏や執筆、パフォーマンスがしたいという人たちは、それをしてほしいということ。自分自身のためでなくても、誰かのために。この世界はアーティストを必要としているし、ただとても楽しいことだから。 ―――
音楽に留まらず、生きることそのものの本質がこの言葉に詰まっているように思います。そんな彼の演奏は、まさに聴く人の心に寄り添うものであり、彼自身も心から躍動しているということが伝わってきます。演奏はもちろん、それに交えてのあたたかなユーモアも、その偉大な音楽を身近に感じさせてくれます。もう彼の新たな音楽を聴くことができないと思うと残念でなりませんが、人類史に残り続けるであろう彼の数多くの音の遺産に、今後も私を含める多くの人が支えられていくに違いありません。
そんな寂しい出来事があった一方、先日の発表会では、いまを生きる熱い音楽がたくさん響いていました。今回は、コロナ禍におけるさまざまな制約があったものの、可能性が広がった部分もあります。たとえば、初の試みとしてライブ配信を行いましたが、結果的により多くの人に子どもたちの演奏を観ていただくことができました。私にとっても、10会場以上での発表をすべて聴くことができたのは新しい収穫でした。
普段はやんちゃな姿を見せるある子は、一音一音を大切に置く、とても丁寧な演奏を。また、ある子は、いつもの穏やかさからは想像もつかないほど、大胆で力強い演奏を届けてくれました。「いかにもこの人らしい」という演奏も素敵ですし、普段の言動にはあまり出てこない、内なる思いがあふれる演奏もまた感動的でした。
本番の舞台で披露される演奏は華々しく映るものですが、そこに至るまでの道は決して平坦ではありません。実は、今回もさまざまな楽器の演奏で聴くことができた、ペツォールト作曲の『メヌエット』は、私が子ども時代、初めてのヴァイオリンの発表会で弾いた曲でもあります。当時どうしてもこの曲で舞台に立ちたくて挑戦してみたものの、それまでの曲に比べ難所が多く、毎日泣きながら練習することに。そんな泥臭い過程を経て、なんとか無事本番の演奏を終えました。帰り道の達成感と高揚感は、いまでも鮮明に思い出すことができます。そして、私自身が指導する立場となったいま、この曲を選んで同じような経験をする子たちの姿を数多く見ています。
この有名な『メヌエット』の作曲者はペツォールトという人ですが、大バッハが書いた楽譜を通して伝わったために、 つい50年ほど前まで彼の作品だと思われていました。彼が、歌手であった奥さんや子どもたちの鍵盤楽器の練習のために、自作を中心にまとめた楽譜帳に書き込んだのです。それから3世紀以上経たいまも、『メヌエット』は小さな音楽家たちにとって憧れの曲であり続けています。そして、多くの子がこの曲を弾きたいという思いで一生懸命練習を重ねた末、演奏を披露しています。
私には、冒頭のチックの言葉がとても親(ちか)しく感じられます。発表会での子どもたちの姿が、彼の言葉をそのまま体現しているからです。自分の演奏に納得がいかず悔しがる子もいますが、本人の思いにかかわらず、知らず知らずのうちに聴いている誰かの心を灯し、感動を届けているものです(悔しいと感じられることは、その人に更なる成長をもたらすことも確かですが)。
意図しようともしまいとも、自分のため以上に誰かの心に響く。そんなことが繰り返されて、表現する人と聴く人それぞれの心を支え、育みながら、音楽という文化は脈々と続いてきたのだろうと思っています。そして、可能性に満ちた目の前の子どもたちとともに、私たちも現にそのバトンをつないでいる。そのことに気づき、なんて幸せなことのだろうと強く感じたのでした。
花まる学習会 坂村将介(2021年)
*・*・*花まる教室長コラム*・*・*
それぞれの教室長が、子どもたちとの日々のかかわりのなかでの気づきや思いをまとめたものです。毎月末に発行している花まるだよりとともに、会員の皆様にお渡ししています。