ジョバンニがどんどん電燈の方へ下りて行きますと、いままでばけもののように、長くぼんやり、うしろへ引いていたジョバンニの影ぼうしは、だんだん濃く黒くはっきりになって、足をあげたり手を振ったり、ジョバンニの横の方へまわってくるのでした。
(『銀河鉄道の夜』新潮文庫)
宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』の一節に、主人公のジョバンニが自分の影と遊ぶ記述がありました。いかにも宮沢賢治らしい文章ですが、誰が読んでもその光景が目に浮かぶような写実的な描写であることがわかります。
このような光景が頭の中で再現できるのは、多くの人が影で遊んだことがあるからでしょう。夕陽を背に受け、自分の身長の何倍も長く伸びた影を見て、それがまるで自分と違う生き物のようでありながら、同時に動くという感覚の不一致を楽しんだことは、きっと誰もが経験のあることかと思います。
写真も映像も鏡すらも無かった時代、「自分という存在」を確認できるものとして影は大きな存在だったことでしょう。人間が「自分が存在している」と認識できるのは、生まれてからかなり時間が経ってのことだと思われます。あるとき自分とそっくり同じに動く影を見てその不思議に気づき、その影を生み出している「何か」、つまり「自分という存在」に、人間は気づくのではないかと思います。
花まるの教室でも影と遊ぶ子どもたちを見ることができます。ある日の年中クラス、その日は絵の具に直接触って絵を描くという日でした。普段なかなかできない遊びに子どもたちがドキドキしながら、ヌルヌルと絵の具の感触を楽しんでいるとき、一人の子が用紙から一瞬手を離しました。そして白紙となっている部分に再び手を置き、また手を上げた瞬間、その子は残された自分の手形を発見しました。固定された自分の影。用紙に残った手形と絵の具まみれの自分の手をかわるがわる見つめて、その原理に気づいた彼はペタッペタッペタッと紙の余白にスタンプのように手形をつけ始めたのです。それを見ていたほかの子もいっせいにペタッペタッペタッと始めました。
次々に残されていく子どもたちの手形を見て、「手の洞窟」とも呼ばれるクエバ・デ・ラス・マノスというアルゼンチンの古代遺跡を思い出しました。古代の芸術家が残した遺跡です。そこにはステンシルという、最近ではイギリスのお騒がせ者バンクシーが用いることで有名な、型に塗料を吹きかけることでその影が残るという技法で描いた手形が、洞窟の壁にたくさん残されていました。
古代と最新の芸術家が同じ技法を使っているというのもおもしろい話ですが、何のためにこういった遺跡がつくられたのかを語るとき、儀礼や祭事という説明が多くなされています。確かにそれはそうなのでしょう。しかし、そのものの根っこを辿れば「楽しかったから」というのがもともとの動機であっただろうと、影と遊ぶ子どもたちが教えてくれます。ペタペタと残された子どもたちの手形と塗料を吹き付けた古代人の手形は、ちょうどフィルムのポジとネガのように反対ですが、そこで生まれた感動は同じものだったはずです。固定された影とも言える手形を残す楽しさと、その影を生んでいる「自分という存在」を感じながら、遊びに興じていたのでしょう。その遊びを、古代の人々は祭事にも使ったのだろうと、私は想像しています。
いつの時代からか、芸術は作品という「結果」を鑑賞するものになってしまいましたが、子どもたちがつける手形や、古代遺跡に残された手形を見ると、芸術というものが「行為」であると思えてきます。子どもたちが芸術という「行為」を楽しむように、古代の芸術家も楽しんだに違いありません。生々しく残された手形からは、若者がワイワイしながら壁に手を当て、自分の影を残していた光景が目に浮かびます。遺跡に残された手形は、思春期の子どもたちのものだと言われています。
花まる学習会 山崎隆
🌸著者|山崎隆
東京東ブロック教室長。千葉県の内陸部出身。2歳上の姉と3歳下の弟と、だだっぴろい関東平野の片隅で育つ。小さい頃、外遊びはもちろんだが室内で遊ぶのも好きで、図鑑を開いては恐竜のいる世界を想像していた。高学年の頃より伝記を通して歴史に親しむ。休みの日には、青春18きっぷで目的もなく出かけることを楽しみにしている。