夏休み明け、久々にレッスンにやってきた年中のAちゃん。 コミュニケーションも兼ねて 、一緒に自由にピアノを演奏してみました 。高い音を弾く。低い音を弾く。1音ずつ順番に弾く。いくつかの音を同時に弾く。さまざまな弾き方でピアノを演奏していたAちゃんは、「グランドピアノを弾くのって、楽しい!いろいろな音が出ておもしろい!」 と言うかのように、目を輝かせていました。 しかし、Aちゃんの様子を見ていると、彼女が感じていることがそれだけではないことに気づきました。
Aちゃんはある一つの鍵盤を弾いて、その鍵盤が上に戻りきる前に、同じ音(鍵盤)を弾こうとしました。 すると、「あれ?」という表情になりました。 ピアノは、鍵盤を押し下げたあと、元の位置に鍵盤が戻りきる前に同じ音を弾こうとすると、音が出なかったり、小さい音しか出なかったりすることがあります。Aちゃんは、弾いたはずなのに少ししか音が出なかったことを不思議に思ったようです。音が出たり、出なかったりすることがおもしろいのか、何度も何度も同じ鍵盤を弾き始めました。決して速く連打したりせず、鍵盤を弾いた感触そのものも楽しんでいるようでした。
このように、子どもたちがピアノで遊び弾きをすることはよくあります。そんなとき、私は子どもたちが単に “音が出ること”を楽しんでいると思っていました。 しかし、不思議に思ったことをこうもじっくりと観察しながら楽しむAちゃんの姿を見て、衝撃と感動で心がいっぱいになりました。 「そうか。ピアノを弾いたときの感触ですら、子どもたちにとっては新鮮で、こんなに楽しめるものなのか!私はなんて視野が狭くなっていたのだろう」と。大人になるにつれ何でも“当たり前”になってしまい、感動が薄れていくものなのかもしれません。
Aちゃんと一緒に演奏していると、さらに愕然としたことがありました。ピアノや音楽を習い始めたばかりの彼女は、この日もおそらく純粋に「この音いいな」「ここを弾いてみよう」などとわくわくしながら楽器に触れていたのだと思います。私も、彼女と同じ気持ちで、なるべくフラットに、自分の純粋な思いや心の動きに従って弾いてみました。しかし、癖なのか“音楽的(音楽として)に綺麗と言われる音”を選びがちであることに気づきました。もちろん、それも学んだり弾いたりしてきた経験の賜物であって、悪いことではないのでしょうが、そういった経験にどこか邪魔をされているようにも感じたのです。
子どもたちの、何にも染まっていない「いいな!」「おもしろい!」という心のアンテナが、本当にうらやましいと思うことがあります。子どもたちにはぜひそんな気持ちを大切にしてほしいと思います。
私は子どもの頃、『おなじみの曲を、いとこたちとアンサンブル(合奏) できるように1からアレンジし、その後演奏、さらに録音し、それに合わせて一輪車に乗る』という遊びをしていました。いま考えると「わざわざそこまでしなくても…」と言ってしまいそうですが、当時はその一つひとつの過程を楽しめました。そんな私は、いまでも何かを自分で作り上げることや構築していくことに喜びを感じます。
子どものときに「いいな」「おもしろい」と感じながら没頭したことは、きっとその人の心を生涯支える”お守り” になるはずです。大人になるにつれて「これがきれい」「これがいい」に塗り固められてしまうこともあるかもしれません。そんなときにこのお守りがあれば、自分の心のアンテナで、琴線に触れることを見い出し、自分の信じた道を進んでいくことができます。
いま、子どもたちが、純粋な心のアンテナで発見したり、没頭したり していること。そのときの感動を存分に感じられるよう、私も 一緒に夢中になって楽しんでいきたいと思っています。 子どもたちの「いいな」「おもしろい」に心から共感できるように、私自身も純粋な感覚を大事にして、心のアンテナを立てておこうと思います。
アノネ音楽教室 勝野菜生 (2021年)
*・*・*花まる教室長コラム*・*・*
それぞれの教室長が、子どもたちとの日々のかかわりのなかでの気づきや思いをまとめたものです。毎月末に発行している花まるだよりとともに、会員の皆様にお渡ししています。