【花まるコラム】『母という名の灯台』小川凌太

【花まるコラム】『母という名の灯台』小川凌太

 先日、新年度生向けの体験授業を実施しました。体験授業の際にお母さん方とお話をしているなかで、多く寄せられる質問があります。それは「うちの子は、なかなか私から離れることができないのですが、大丈夫でしょうか」というものです。園や学校、公園などでわが子だけが自分から離れようとしない姿を見て、「ほかの子と比べてはいけない」と頭ではわかっていても、どうしても不安になってしまう気持ち。これは、親心ゆえなのだと思います。

 体験授業当日のことです。事前に聞いていた通り、なかなかお母さんのそばを離れようとしない年長のAくん。ほかの子どもたちは着席していて、気がつけばAくんだけが、お母さんから離れず着席していない状態でした。その状況を見て、ますますお母さんの表情は曇っていきます。けれど、Aくんはそんなことにはお構いなく、お母さんのそばから離れようとはしません。そこで私から「じゃあ、ここで授業をやろう」と提案してみました。Aくんの席はそのまま残しておき、お母さんの隣にもAくん専用の席を設置しました。授業を始めてみると、みんなと同じ席にはいないけれど、ほかの子と同じように問題を解き進めているAくん。1問終わるたびに、嬉しそうな表情をして「ほら、見て!」とお母さんに笑いかけます。その姿を見て、お母さんの表情に少しずつ光が差し込みはじめてきました。

 授業も中盤に差し掛かったとき、「あっちでみんなといっしょにやってみる?」と聞いてみると、小さく首を縦に振りました。Aくんが一歩踏み出した瞬間でした。その後も授業に取り組みながら、ことあるごとに「ほら、できたよ!」と嬉しそうにお母さんのほうへ視線を送るAくん。「前を向きなさい…!」とお母さんの小さなツッコミもありましたが、その表情は非常に明るくなっていました。それに呼応するように、Aくんはよりいきいきと授業に取り組み始めました。

 Aくんの成長があった授業。もう一つ、あることに気がつきました。それは、そこにいたほとんどの子が、問題を解き終えた瞬間や花まるをもらった瞬間にお母さんの方を嬉しそうにチラッと見ていたことです。

 なぜ、子どもたちはお母さんのほうを見るのでしょうか。これは「お母さんが見てくれている」という安心感なのだと思います。ある日、家族で公園に遊びに出かけたときのことです。そこに、サッカーボールで遊んでいた男の子とお父さん、そしてベンチに座ってそれを眺めているお母さんがいました。男の子は小学生くらいでしょうか。お父さんからリフティングを教えてもらっているようです。2回、3回と連続でリフティングができるようになり、目の前にいるお父さんが「いいぞ! いいぞ!」と大喜びしていました。もう一度リフティングをするときに、彼は「お母さん、見ててね!」と言い、リフティングを始めました。その後もリフティングでの遊びは続き、ことあるごとに彼は「お母さん、見ててね!」と言っていました。お母さんはその姿を見て、ニコニコと笑っているだけでした。

 体験授業での子どもたちが、花まるをもらった瞬間や問題を解けたときなど、随所でお母さんのほうを見る姿。公園でリフティングをしていた彼が発した「お母さん、見ててね」という言葉。それは「お母さんの笑顔」があることでの安心感であり、同時に「お母さんには笑っていてほしい」という気持ちの表れなのだと思います。

 体験授業でお母さんのそばを離れることができなかったAくん。彼はきっと一番近くで自分の頑張りを見てほしかったのでしょう。その気持ちは、子どもたちの誰にでもあるもの。だからこそ、ほかの子どもたちもことあるごとに、お母さんのほうを見ているのではないでしょうか。「自分のことを見てくれている」存在は、子どもたちにとっての大きな安心。まさに「あの光が見えるから大丈夫だ」と灯台の光を確かめながら沖を進んでいく船のように、「お母さんがいるから大丈夫だ」と思っているのでしょう。子どもたちの進む道を照らし続けてくれるお母さんの存在があるからこそ、頑張ることができるのです。まさに、子どもたちにとって、お母さんは灯台のような存在であり、安心できる源なのです。

花まる学習会 小川凌太(2023年)


*・*・*花まる教室長コラム*・*・*

それぞれの教室長が、子どもたちとの日々のかかわりのなかでの気づきや思いをまとめたものです。毎月末に発行している花まるだよりとともに、会員の皆様にお渡ししています。

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