【花まるコラム】『太古から受け継がれるもの』榊原悠司

【花まるコラム】『太古から受け継がれるもの』榊原悠司

 「あそこにいる!」「そっちにいった!」「よし、つかまえろ!」子どもたちが夢中になっていた、サマースクール2日目の虫捕り。バッタやカマキリにトンボやセミ、誰かが捕まえると歓声が上がり、「よし、自分も!」とさらに熱が入ります。石を持ち上げ草をかき分け、しゃがみこんだり泥の中に躊躇なく入り込んだり、靴や服が汚れようがお構いなしでした。
 開始して間もなく、ある2年生男子がみんなから一目置かれるようになりました。誰よりも早く見つけ、誰よりも早く駆け出し、俊敏に確実に仕留める。足場の悪いところでも跳ねるようにして突き進み、身軽に体を使いこなし獲物を狩る彼の姿は明らかに目立っており、「ねえ、あそこにいるセミつかまえて!」と頼られ、高学年からも「うわ、すげーな!」と言われていました。そんな彼は、しばらくするとトカゲ探しに夢中になっていました。倣うようにして他の子も一緒になって探し始めました。そのうち私が「もういないんじゃないかな…」とつぶやくと、「そんなことない!絶対にいる!」「ねえ、ちゃんと探してよ!」と真剣な表情で怒られました。他のことには目もくれず一言も発さない、凄まじい集中力でした。そのとき「あ、おもしろいな」と思いました。
 2泊3日の野外体験で、彼が(と言っても彼に限らずですが)、「パンツがない」「くつしたがない」と言うこと数知れず。本当にないときもありますが、大抵はサラッと見ただけで「ない!」と言い、大人と一緒に探すとすぐに見つかります。虫捕りのときとまったく違う姿を見せるからおもしろいものです。「パンツやくつしたがなくても、まったく気にしない!けれどトカゲはつかまえなければ気がすまない!」と言わんばかりです。また、普段の授業での彼は、同じように「えんぴつがない」「けしごむがない」とよく言い、授業の大半はだら~んとしており、外から飛行機や救急車の音が聞こえれば窓に駆け寄り、虫が飛べばそれに引き寄せられ、机に向かっている時間は僅か。気に入らないことがあればすぐに手が出ます。

 彼にはADHDの診断がついています。ADHDとは、集中力のなさや多動性・衝動性、これらの特性を中心とした発達障害。 ADHDについて勉強をしようとさまざまな文献を読みました。そのなかでも「ADHDは狩猟民族の生き残りである」という説は、新たな視点を得るものとなりました。一部、簡単にまとめると以下の通りです。

 約1万年前に始まった農耕の社会が現代まで続いており、自然に農耕文化の中で生きて行く資質(たとえば、暦や天候に合わせた計画性、水やり・草取りなど単純作業の繰り返し、田植えや稲刈りなどほかの人と力を合わせる協調性など)をもつ人が多くなる。一方で、大昔の狩猟時代は、獲物を探す力、ここぞというときに瞬時に動いて狩れる衝動性・俊敏性、獲物を狩る瞬間に発揮される限定的な集中力、気づかれないように身を潜めること、そういったものこそ生き抜くために求められた。現代で求められるのは前者だが、仮に現代でも狩猟社会が続いていたら、現代で『普通』とされている人が発達障害とされる。

 これを読んだとき、納得させられ、狩猟時代のスキルは子どもの遊びそのものだと感じました。昔もいまも代表的な遊びである「虫捕り」「鬼ごっこ」「かくれんぼ」。捕まえる・逃げる・探す・隠れる、多くの方も経験をされたであろうあのときの高揚感・緊張感は、おそらく狩猟時代の生存本能が現代にも脈々と受け継がれている故だと感じます。
 ADHDは、狩猟時代のDNAを特に強く引き継いでいる表れで、程度の差はあれ誰しもが受け継ぐもの。そして、そんな大昔のDNAを色濃く受け継ぐ者が、子ども世界では英雄となることがしばしばです。

 集団行動に馴染めず、またすぐに手が出るがゆえに衝突することが多かった初日でしたが、最終日には彼の周りにたくさんの友達が集まるように。全員に名前を覚えられかわいがられ、英雄経験を手土産に、彼は満面の笑みで帰路につきました。

 

花まる学習会 榊原悠司(2022年)

 

【参考文献】
トム・ハートマン 著/ 片山奈緒美 翻訳(2003)『ADD/ADHDという才能』ヴォイス 
世が世なら…発達障害「ADHD」は狩猟採集社会では優位性を持っていた。現代でも適した職業や場所が見つかれば特性を強みに変えられる可能性(米研究)


*・*・*花まる教室長コラム*・*・*

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