低学年クラスの課題作文にて「お風呂について自由に書きましょう」というテーマを扱った日のことです。何を書こうかな…と首を捻る子どもたちに、まず「お風呂は好き?嫌い?」と声をかけます。お風呂が好きな理由はご想像の通りですが、好きではないと答えた子の大半は「○○が面倒くさいから」と口にしていました。服を脱ぐのが面倒だから、体を洗うのが面倒だから、夜は忙しいから(観たいテレビ番組があるのかもしれません)などと、お風呂に入るより前の行動に障壁を感じているようです。つまり、彼らは入浴そのものではなく、そこへ到達するまでの行動が億劫なため「お風呂は嫌い」という結論に至っているようでした。
日常生活はこのような「面倒だなあ」と多少なりとも感じるものであふれています。朝起きる、歯を磨く、顔を洗う、宿題をやる、外に出る、習いごとに行く、お風呂に入る…。いずれも行動してしまえばどうということはないのですが、始動するためには「ドッコイショ!」と心のエネルギーが必要です。これを私は、密かに『MP(めんどくさいポイント)』と名付けています。「心理的な壁」とも言い換えられるでしょうか。教室長を続けていると「えーめんどくさいなあ」が口癖の子に出会うこともあります。彼らはまだ、面倒なことに向き合い、頑張る経験が少ないのだと思います。「聞いている人がいやな気持ちになるよ」とやんわり指摘しつつ、「面倒なのにやって偉いね」と彼の行動を認め、成長を応援しています。
先日の年中クラスではこういった出来事がありました。授業では、音読→数理→運筆→迷路→アイキューブ(ブロック)にテキストで取り組んだあと、残りの時間でさまざまなテーマの思考実験を行っています。
Aくんは「イェイ!」のポーズもノリノリで、絶好調。迷路のページも「難しいほうから挑戦する!」と意気込み、すらすらっとゴールして得意満面です。しかし「迷路の次はアイキューブをやろう!」との指示が出た途端に「えー、アイキューブきらーい」と机に突っ伏してしまいました。どうやらここでMPが立ちはだかったようです。アイキューブに対して彼が周りの子たちよりも心理的な壁を感じていることは私にもわかっていました。ブロックをカバンから取り出し、必要なピースを探し出すのが「面倒」なのかもしれません。「一緒にやろうよー!」と講師も声をかけますが、狸寝入りのまま動かないAくん。講師に示し合わせ、一旦様子を見る(声かけをやめる)ことにしました。周りの子たちはブロックを手に試行錯誤し「できたー!」と嬉しそうに声を出しています。そして10分ほどが経過し、思考実験の時間になりました。
いつもは「○○先生!今日の思考実験はなにー?」と目を輝かせて聞いてくるAくんです。このタイミングで息を吹き返すだろうと私は確信していました。思考実験の説明をし始めると、やはり身体を起こすAくん。すると意外にも、自らカバンからブロックを取り出し、アイキューブの問題に取り組み始めました。「もう思考実験を始めるけれど、Aは先にアイキューブやる?」と尋ねると、深く頷くAくん。そしてササッとお手本と同じ立体を作り上げて思考実験に合流しました。どういった感情なのか彼自身にもまだわからないかもしれませんが、「やらないまま次に進むのは気持ちが悪い」という思いがあったのでしょう。それともう一つ、「面倒くさいの壁」を乗り越えるポイントは、“習慣”です。アイキューブを終えてから思考実験へ進むといういままでの習慣を、彼も崩したくなかったのでしょう。いずれにせよ、一度はガス欠を起こしたにもかかわらず、自ら一歩を踏み出してやりきった姿に、大きな成長を感じました。また、もし私が「アイキューブをやらないと思考実験はできないよ」などと、強引に切り替えさせていたら、この姿は見られなかったことでしょう。そう思うと、周囲の大人がどうかかわるかが重要だと痛感させられます。
「大抵の面倒なことって、あなたにとってとても大切なことなのよ」これは、ある主婦講師の方が子どもたちへ伝えた言葉です。もう何年も前ですが、その何気ない一言がいまだに私の心に残り続けています。私もついサボっていた部屋の掃除に、いまから取りかかろうと思います。
花まる学習会 石橋修平(2022年)
*・*・*花まる教室長コラム*・*・*
それぞれの教室長が、子どもたちとの日々のかかわりのなかでの気づきや思いをまとめたものです。毎月末に発行している花まるだよりとともに、会員の皆様にお渡ししています。