【花まるコラム】『優しさがつらいと感じるのは』小泉奈々子

【花まるコラム】『優しさがつらいと感じるのは』小泉奈々子

 教室の隅からこちらの様子をちらちらと盗み見る影あり。ほかの先生から「ほら…」と背中を押され、やっと私のもとへ来られた涙目の男の子。
「先生…あ、あの、宿題を忘れてしまいました…」
目から涙をぼろぼろこぼして宿題報告に来たのは、3年生Tくん。Tくんはとても優しく素直な、4人兄弟の長男。同時に、忘れっぽく、ややマイペースな面もありました。3年生の頃から担当していますが、毎回の授業で何かしらの宿題を忘れ、そのたびに涙をはらはらと落としながら「先生、宿題を忘れてしまいました」と報告に来るような子でした。

 そんな彼がついに、4年生になりました。4年生から始まる花まるの高学年コースは、低学年コースとは異なり、一層勉強色が強い授業内容です。そんな雰囲気の変容ぶりに気持ちがついていかず、授業へのモチベーションが下がってしまう子もなかにはいます。4年生になった子どもたちの表情からは「花まるもいままでと違って学校みたいだし、宿題が増えたからいやだ…」という気持ちがひしひしと伝わってきます。

 Tくんもそんな宿題嫌いな4年生の一人でした。4年生になってからしばらくして、お母さんから「宿題がいやで花まるをやめたいってTが言っているんです」と、相談を受けました。これまでも宿題を毎日やることができなかったTくん。案の定、量が増えた宿題をどのように進めていいかわからず溜めてしまい、「宿題なんてやりたくない!」と爆発していたのです。

 そこで週に2回、私から彼に電話をして宿題の進捗状況を確認する時間を作りました。電話をかけ始めてしばらくの間は、受話器前で毎回ひと悶着ありました。私が電話をすると、お母さんの「少々お待ちくださいね」の声に続いて受話器から聞こえてくるのは、Tくんの「やだ~!」という声とお母さんの「早くしなさい!」という声。そして少しの静寂のあと、か細い涙声で「もしもし…」と、Tくんがやっと出るのです。彼は「宿題が終わっていないと先生に怒られる」と思い込んでいて、電話で会話ができるようになるまでにだいぶ時間がかかりました。

 電話をしたときに宿題が終わっていないからといって責めることはしません。宿題を計画的に進められるようになる、というのは最終目標です。やれなかったのであれば、これからのスケジュールを立て直すだけ。Tくんにもそう伝え続けて1か月、宿題の終わっているところと終わっていないところをやっとごまかさずに言えるようになりました。さらに続けること数か月、Tくんはわからない問題があると自分から私に電話をかけるようになりました。
「Sなぞ(発展的な思考力教材)がわかりません 」
「算数のページにあるこの質問は、どういう意味ですか? 」
 いままでのTくんは、わからない問題があるとあと回しにしてしまい、そのまま忘れてしまうことがほとんどでした。しかし、困ったときに一緒に考えてくれる人がいるとわかってから、Tくんは変わり始めたのです。ある日、いつもの電話で「最近花まるが楽しい」と突然彼が話しました。「何が楽しい?」と聞くと「一番は、Sなぞ!」と答えてくれました。 それは4年生になったばかりのTくんが「一番嫌い!」と話していた、思考力の問題集。以前は何をどう考えればいいかまったくわからなかったけれど、少しずつ考え方がつかめるようになって、ヒントなしでも自力で解けるようになってきていました。「わかったときのスカッと感がいいんだよね」と、電話越しからもTくんの嬉しさが十分に伝わってきます。

 Tくんが4年生になってから、あっという間に1年が経ちました。宿題をやれずに泣いていた3年生の頃の彼は、もういません。いよいよ来月からは5年生。Tくんとの4年生最後の電話を終えたあと、お母さんからメールが届きました。

 先生、先ほどはありがとうございました。先生との電話を終えたあと、突然Tが泣き出しました。どうしたのかと聞くと、『おれ、先生が優しすぎてつらい…』と話していました。4年生になってからいろいろありましたが、Tを支えてくださり本当にありがとうございます。

Tくん、その言葉があればきっときみはいまの自分よりもっと成長できるよ。4年生の3月最後に流れた涙は、とてもあたたかい涙でした。

花まる学習会 小泉奈々子(2022年)


*・*・*花まる教室長コラム*・*・*

それぞれの教室長が、子どもたちとの日々のかかわりのなかでの気づきや思いをまとめたものです。毎月末に発行している花まるだよりとともに、会員の皆様にお渡ししています。

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