【花まるコラム】『躍動』永見英太

【花まるコラム】『躍動』永見英太

 つい先日、授業後のお話です。私国立中学を目指す5年生受験コースの男子たちが、受付のカウンターでまさにかじりつくように問題を解いていました。のぞき込んでみると、思考力を養うなぞぺーの問題です。生徒たちの表情は、追い込まれているようなものではなく、常に笑顔。正解を知りたい、というよりは、答えが出そうで出ない、でもなんとか自分で解きたい、という一進一退のせめぎ合い自体を楽しんでいるという雰囲気でした。

 そこに、生徒のお父さんが登場。問題を見て父は、「この問題おもしろいな~、一緒に考えていい?」さすが、圧巻の一言です。もちろん、その子は大喜びで説明をし、どこからわからなくなってしまったのかを伝え、おでこがくっつきそうなくらいの距離でお父さんと一緒に問題を解き始めました。そのうちに、お父さんが先にひらめき、少しだけ本人にヒントをあげます。すると、そこから本人が試行錯誤して最後は「できた!」と、見事正解。先生からも特別大きな花まるをもらっていました。

 しかし、ここで終わらないのが彼のすごいところです。まだ問題を解いている他の子のところに行き、考えの助けとなるレベルでの小さなヒントを出します。そして、最終的にその子が自分で正解を導き出せたときには、一緒に肩を組んで喜び合っていました。「このなぞぺー、超おもしろかった~!」とお互いに語る姿に、3年生の特性の1つである、楽しいと思うことにならなんでも身体が動くということと、5年生くらいの時期から鍛えられる、学習に対する吸収力の高さ・貪欲さと、という2つを同時に感じました。

 ここで忘れてはいけないのが、周りの人、今回では迎えに来てくれたお父さんの存在です。「あとで考えなさい」と言うことなく、むしろ楽しんでいる彼らの輪の中に飛び込み、同じ感覚を共有してくれていました。また、最後は本人が「解けた!」と思えるような導き方も、花まるの教室で常に心掛けられていることにほかなりません。子どもたちは、自分なりに考え、悩んだうえでの正解こそが欲しかったのでしょう。私は、この親子のやり取り、そして達成感に満ち溢れた彼らの顔を見て、「なんて美しいんだ」と心から思いました。「学習」とは、本来こうあるべきだな、と。

 昨今、少子化が社会的問題となるなか、受験生の数は増大しています。その大きなニーズに応えるため、中学受験業界は確実に規模を拡大。自塾からの合格者を一人でも多く出そうと、パターン演習や先行学習など、受験に必要な学習量は、30年前のおよそ3倍にもなり、当時の難関校で出題されていた問題が、いまや偏差値40台の学校で出てくることも当たり前に起きています。親もそこにかかわることが求められ、中学受験は「親の受験」と言われていることも事実です。また、テストの点数によってクラス、座席が頻繁に変わり、メンバーの入れ替わりが激しいため、担当の講師や一緒に学ぶ子どもたち自身も隣で机を並べて学んでいる子の顔と名前が一致しない、などということが、最大手の塾では当たり前のように起こっています。もし企業でこの仕組みを導入したら、人間関係は停滞し、お互いが鉄の歯車によって動かされているかのような、殺伐とした空間になるでしょう。

 ここで問題なのは、子どもたちにそれを強いていることだと私は感じます。人と比べて自分はこんなものだ、この中ではこのくらいの位置だ、他人との比較=自分の評価という感覚を幼いうちから刷り込まれた子に「自己肯定感が大切だよ」「自分に自信をもって」と伝えても、それを受け止められる余裕はあるのでしょうか。「偏差値」は、大切な指標ではありますが、ある一つの視点から見た際の数値の評価でしかなく、その子のすべてを決めるわけではまったくありません。目的を達成するまで、辛い日々を「耐える」のではなく、「いま、この瞬間が楽しい、輝いている」という日々を過ごすことが大切だと私は考えます。

 この、特殊な環境である「受験」に対して、我々ができることはひとつ。子どもが主役の受験、親が安心できる受験を目指し、そのための授業をすることです。あの、父と子のやり取りを見て、私自身がはっと気づかされたようでした。 

 いま、目の前にいる子が、この瞬間に『躍動』しているか。そして、その子のこれから続いていく将来に、思いを馳せることができるか。その道の途上に携われることに感謝しつつ、いまも子どもたちの前に立っています。

スクールFC 永見英太(2021年)


*・*・*花まる教室長コラム*・*・*

それぞれの教室長が、子どもたちとの日々のかかわりのなかでの気づきや思いをまとめたものです。毎月末に発行している花まるだよりとともに、会員のみなさまにお渡ししています。

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