教え子Kちゃんの原動力
先日、中学受験を終えた教え子Kちゃん&お母さまと電話をしました。私が見ていたのは2年生~3年生の頃で、4年生になるタイミングで西郡学習道場へ送り出しました。自由奔放で活発なKちゃんは、学校で授業中に立ち歩いたり、先生の話を遮ったりしては叱られることもしばしば。当時を振り返った本人曰く「めっちゃ浮いてたと思う(笑)」とのこと。
花まるの教室でも立ち歩くことはありましたが、私はそれを「散歩」と呼び、彼女の気持ちが落ち着くための儀式として容認していました(もちろんほかの子の妨げになるような行動は咎めましたが)。そんな彼女に、受験勉強という決して平坦ではない道を3年間走り抜けた秘訣はなにかと尋ねると、「わかんない(笑)」と即答。Kちゃんらしい答えに思わず大笑いしました。「そうだそうだ、わからないことをわからないと素直に認めて質問できるのが彼女のいいところだったなぁ」と当時を思い出しながら、同じ質問をKちゃんのお母さまにしたところ、こんな答えをいただきました。
「算数が好きなんです。点数は全然アレですけど。それと同じくらい(担任の)田口先生のことも好きで、『これ以上成績下がったら、クラスが変わって田口先生の授業を受けられなくなっちゃう~』って言いながら勉強していました(笑)」
それを聞いたKちゃんは、
「だって先生が言ったじゃん。『Kは算数得意だもんな~』って」
なにがどう「だって」なのかはわかりませんが、まさか私の何気ない言葉――そんなことを言った気がしなくもない、くらいのおぼろげな記憶です――が、彼女をその気にさせていたとは思いもよらず。なにはともあれ、久方ぶりの電話でKちゃんが自分の「好き」を原動力に、受験期間を走り抜け、結果的に第一志望校合格を成し遂げ、「幸せな受験」を終えたのだと知ることができました。
「好き」と「嫌い」は表裏一体
Kちゃんを西郡学習道場へ送り出した頃、2年生Oくんのお母さまから相談を受けました。「うちの子、なににも興味を示さないんです。スポーツとか本とか工作とか、できるだけワクワクするように工夫して、いろいろと触れる機会を作るのですが、どれも反応がイマイチで…」とのこと。教室での様子を見ていると、隙あらば自分で作問をしたり、初見の漢字があればすぐさまポケット漢字辞典で調べたり、知的好奇心の塊のような子で、無気力・無関心とは程遠く感じます。さらに詳しく話を聞いてみると、「テレビも見るには見るんですが、なぜかニュースとかドキュメンタリーばかりで、バラエティーとかは見ないんですよね…」とのこと。私は一つの仮説を立てました。
「『自分の意志で選んでやること』が好きなのでは?」
彼の好き嫌いはジャンルの問題ではなく、触れ方が重要で、わかりやすく視聴者をおもしろがらせにくる番組ではなく、視聴者が自らおもしろがりにいくような番組を好むのもそういう背景なのではないかと考えました。逆に、彼が少しでも「押しつけられている」と感じたら、中身が魅力的でもそっぽを向かれてしまうのでは?とも考えました。結果はその通りで、お母さまがあれこれ情報を渡すのをやめ、本やイベントのチラシを彼が自分で見つけられるところに置いておくように変えたところ、だんだんと自分から「これをやってみたい」と言うようになったそうです。
好きの種を蒔く
「好き」といえば、毎年卒業する6年生に伝えていることがあります。それは「『これが好きだ!』というものを1つでいいから見つけてほしい」ということです。部活に打ち込むのもよし、勉学を極めるのもよし、マンガやアニメに夢中になるのもよし、マニアックな趣味に没頭するのもよし、友達との与太話に花を咲かせるのもよし。「なにかにのめり込んだ経験」は、いずれ自信と哲学を形成します。そしてなにより、あらゆることを刺激的に感じられる幼児期は、その絶好の練習期間です。熱中しすぎて宿題を疎かにして叱られることもまた経験です。そこで蒔いた「好き」の種たちが、いつか芽吹いて伸びていき、どれか1つが大樹となって、自信や哲学といった人生を支える柱になればと、今日も明日も願っています。
花まる学習会 臼杵遥志(2022年)
*・*・*花まる教室長コラム*・*・*
それぞれの教室長が、子どもたちとの日々のかかわりのなかでの気づきや思いをまとめたものです。毎月末に発行している花まるだよりとともに、会員の皆様にお渡ししています。