夏が近づくとある出来事を思い出します。
小学4年生の小柄な私は必死で逃げていました。
私と比べて体が2倍ぐらいある6年生が、小石を片手に追いかけてくる。
その小石がいつ自分に投げられるかの恐怖と戦いながら。
私に疲れが見えはじめたとき、頭に切るような痛みが走りました。
立ち止まり、後ろを振りかえると、6年生は立ち止まり肩で息をし、手には何も持っていませんでした。小石が自分の頭に当たったことは痛みからも理解できました。
頭の痛みが激しくなり、その場にしゃがみこんで恐る恐る頭に手を当てると「ぬるっ」とした感触があり、すぐに頭から手を離しました。それ以上頭を触る勇気は湧いてきませんでした。
そのとき、「うちの弟に何したんか!」
と私の一番上の姉の声が聞こえてきました。
それと同時に、私のもとに駆け寄り、「大丈夫?」と優しく声をかけるのは二番目の姉。
それからの記憶はあまりなく、気がつくと病院のベッドで横になっていました。
ベッドの脇には、白いはずの阪神タイガースの帽子が赤く染まっている状態で置かれていました。
帽子のおかげで数針だけ縫う怪我で済み、その日のうちに家に帰ることができました。
病院から戻ってからの遅い夕食は、私の大好きなカレーでした。
いつもはにぎやかな食卓も、今日は誰もしゃべろうとせず、お皿とスプーンの機械的な音だけがリビングに響いていました。みんなが半分くらい食べた頃、母が突然席を立ち、目頭を押さえて奥の部屋にいきました。
姉と私の3人は母の異変に気づきながらも、態度に出さないようにして食べ続けました。食器棚のガラスに映る私の頭に巻かれた包帯の白さだけが異常に目立っていました。しばらくして、目を赤くした母が戻ってきて、
「お姉ちゃんたち、ありがとうね…」
とうつむきながら言いました。しばらくの沈黙の後、
「当たり前やんか、大事な弟や」と最後は涙声になる一番上の姉の声を聞いて、
「ほんまや、ほんまや…」と二番目の姉がそれに続きました。
私は「ありがとう…ごめん…」と言うのが精いっぱいでした。
そんな私を母は優しく見つめながら「元気が一番。それだけでいいんよ。本当にそれだけ」と。
あれから40年。
70歳を過ぎた母が突然入院して手術を受けることになりました。
ベッドに横たわり小さくなった母を見ながら、いろいろな想いを噛みしめていました。
しばらくすると私に気がついた母は、何かを思い出したように体を起こしました。
「すまんね」と笑いながらいつも通りを装う母に、「ええんや、気にするな」とぶっきらぼうに答えるのがやっとでした。母は、病室の白い天井を見上げながら、「ありがとう」。と、今度はゆっくりとても優しい口調でした。
「ええんや、おかんが元気やったらそれでいい・・・。本当にそれだけ」
と母に伝えると、母は何かを思い出したように笑いだしました。
笑いながら母は、「覚えているか、あんたがいじめられて頭に石をぶつけられたときのこと」と私を見ながら言いました。
私は、「あ~覚えている」とだけ答えました。
「あのときと反対だね」と母。「うん、そうだね」と私。
あの日の夜、母が私に向けた「元気だったらそれでいい」と言うときの気持ちがじんわりと身体に染み込んでいく感覚でした。涙がこぼれそうになるのを抑えて、この言葉は伝えておかないといけないと思い、
「おかん、ありがとう」と言いました。
数日後、病院から真っ白な阪神タイガースの帽子をかぶって退院してくる母を見て、家族全員で大笑いしました。
親になり子どもを授かり、自分が子どもだった頃の親の気持ちを理解することができるようになったと感じています。
私はかなり両親に苦労をかけましたが、当時は「ありがとう」「ごめんなさい」が言えない子どもでした。
大人になり両親から伝えられていたことがさまざまな場面でつながり、気がつけば「ありがとう」「ごめんなさい」が言えるようになっていました。
大切なことは、いつつながっていくかわかりませんが、あのとき母や姉が私にしてくれたように、教室の子どもたちに伝えていくことをこれから続けていこうと思います。
花まる学習会 箕浦健治(2021年)
*・*・*花まる教室長コラム*・*・*
それぞれの教室長が、子どもたちとの日々のかかわりのなかでの気づきや思いをまとめたものです。毎月末に発行している花まるだよりとともに、会員のみなさまにお渡ししています。