先日、年中クラスの特別授業で公園に出かけたとき、どこからともなくふんわり甘い匂いが漂ってきました。「いいにおい~!」香りの正体を見つけて、思わず自分の顔を枝に近づけたKちゃん。「ねぇねぇ!すごくいいにおいだよ!」とまわりの子たちにもその幸せをおすそわけ。すっかり秋めいて、肌寒さが感じられるようになってきた頃の、ほっこりとした光景でした。
年長クラスでは、自分で拾ってきた落ち葉や木の実をじっくり観察しました。
「おなじ葉っぱなのに、色がすこしちがう!」
「この葉っぱは、ここがくるっとしているんだよ〜!おもしろい!!」
画用紙に貼り出すと、また違う表情が見えてきます。
「このくるっとしたところ、ふねみたいでしょう?」
「葉っぱなのに、木になっちゃったー!生き返ったよ!」
遊びながら出合う発見と学びのなかで、子どもたちの心が弾んでいるのがわかりました。新しい物語が次々と生まれていきます。
好きなものを好きなように、好きなだけ。それができるということは、なんて尊いことなのでしょう。〝正解〟という概念がないからこその自由。その概念がまだない子どもたちは、なににもしばられない世界で生きています。それは、まだ色のない美しさと言えるかもしれません。
〝正解〟の存在を教えるのは、間違いなく大人です。正解など知らなくていい。ありのままに、伸びやかに生きていってほしい。子どもたちの純粋さを目の前にすると、何度となく願うこと。一方で、これからの社会を生き抜くためには、現実の厳しさを知り、しなやかな対応が必要なことも。そうならば、それをひっくるめたおもしろさも感じられる人になってほしい。そう思うのも確かです。
〝正解〟の存在を知ったとき、一度はその枠組みを意識するかもしれません。けれども、その表面にあるものだけでなく、裏側や周りに存在するわくわくするものを見出す目を持っていれば、その枠にとらわれ続けることはないように感じます。その目を養う第一歩は、間違いなく、答えのないものを楽しむ心ではないかと思うのです。
様々な〝正解〟を知るからこそ、そこに彩りも生まれていきます。それもまた美しさ。いまはいまの、何色にも染まっていない美しさを、ありのままに。自分色に輝く瞬間は、その先にあるのかもしれません。
そう考えたとき、いまその瞬間の発見を、心の躍動を、小さな変化を、一緒に喜べる存在でありたいと思います。それがいま近くにいる大人としてできることのひとつかもしれない。最近、そんなふうに感じています。
それは、成果や結果を評価することではなく、自分で決めたこと、やってみたこと、見つけたことや気づいたこと…。その時々の喜びを、ありのままに心で感じて。
自分で行動したからこその出合いや発見に〝おめでとう!〟
その心で、子どもたちと喜びをともにする時間を積み重ねていきたいと思います。
花まる学習会 久慈菜津紀(2021年)
*・*・*花まる教室長コラム*・*・*
それぞれの教室長が、子どもたちとの日々のかかわりのなかでの気づきや思いをまとめたものです。毎月末に発行している花まるだよりとともに、会員のみなさまにお渡ししています。