【花まるコラム】『おなかいっぱい、しあわせいっぱい?』山岸亮太

【花まるコラム】『おなかいっぱい、しあわせいっぱい?』山岸亮太

 「お父さんとお母さんに会ったことがないんだ」
そう10歳の少年の口から聞いたとき、なんと返すべきだったのでしょう。彼の名はルスリー。ジャカルタの孤児院で暮らす少年です。ある夜、彼は境遇を語ってくれました。両親に0歳の頃に捨てられ、物心ついたときには親戚の家で暮らしていた。だが親戚の家も離れなくてはいけない状況に。暮らしていた島を離れ、ジャカルタの孤児院に預けられたのだと。

 普段は明るく快活なルスリーですが、寝る時間になるとこれまで両親から受け取れなかった愛情を求めるかのようにピタッとくっついてきます。なんて言葉をかけるべきか。何をしてあげるべきか。正解のない問いに悩んでいました。

 でも彼は強い。もう涙も流さない。もらった愛情に対し「ありがとう」が言える。逆にその愛情を返すかのように、誰かのために動ける。逆境のなかでも前を向いて生きている。そんな少年です。なぜ前を向けるのか。その問いの答えが知りたくて、できる限りの時間をルスリーと過ごすようにしてきました。

 彼は少食。ごはんをいつも隣の子にわけて、食べられる分だけ食べる。掃除は好きではないが、自分の洋服は丁寧にたたむ。時間はかかるが、丁寧にたたんで自分の棚に美しくしまうのが好き。宿題はぎりぎりまでやらないが、日本語の勉強は好き。いつかおしゃべりすることを目標に、いまはカタカナを勉強中。膝の上に乗るのが好きで、ほかの子が乗るとちょっとすねる。これがルスリーでした。

 あることに気づきました。誰からも褒められていないし叱られていないのです。たくさん食べられないからごはんをほかの子に分けるし、きれいにたたみたいから時間をかけて服をたたむ。日本語の勉強もやりたいから頑張っているのでしょう。テストの点をとるためだけに、やらなきゃいけない宿題だから、というわけではありません。褒められるわけでも、叱られるわけでもない。好きも嫌いも、嬉しいも悲しいも、がんばるもサボるも、全部自分で決めている。それがルスリーでした。

 彼から学んだ幸せに生きていく鍵は「満たされている」こと、でした。食べて、寝て、体が満たされる。自分の心に正直だから満たされる。大変な境遇でもルスリーが前を向いているのは、自分で自分の心を満たせているからでしょう。

 いまの日本で「満たされる」ことは難しいかもしれません。子どもの頃から合格点や平均点、受験を提示される。いい子になろう、優秀な生徒を目指そう、褒められたい。そうやって「なにか」を基準にして生きています。ネットを見ればたくさんの人とつながり、否が応でも比較してしまうでしょう。自分の心より気になってしまうものばかりです。

 おなかいっぱいのはずなのに、隣の人が食べているものがおいしそうに見えてしまう。おなかがいっぱいでこれ以上食べられないと損した気持ちになってしまう。本当は自分だっておなかいっぱい食べているはずなのに。「満たされている」かどうかを決められるのは自分だけ。隣の人を見ても、誰かに聞いても満たされているかどうかは教えてくれない。自分で決めるしかない。だから幸せになることが難しいのでしょう。

 一方で、本当は簡単なのだ、ともルスリーが教えてくれました。子どものころはみんなできていたはず。あれが食べたい、これをやりたい、これがすき、あれがほしい。おなかがいっぱいになったらねむくなる。だから寝る。それで満足。

 冒頭の話に戻ります。私はルスリーになにをしてあげるべきか。答えは簡単でした。これまで通り思いきり抱きしめるだけでよいのでしょう。ルスリーの心が愛情で満たされるように。褒めたりする必要はないのでしょう。勉強ができなくても、スポーツができなくても、ごはんを残さず食べられなくても、いい。心が満たされていれば、前を向ける。前を向けば、成長できる。それをルスリーが教えてくれました。

 教室の子どもたちも同じです。愛情で満たされるように。愛情で満たされた子どもたちが前を向くのをただ見守ればいい。そう思って2023年も「愛」に生きる教室長であり続けます。

花まる学習会 山岸亮太(2023年)


*・*・*花まる教室長コラム*・*・*

それぞれの教室長が、子どもたちとの日々のかかわりのなかでの気づきや思いをまとめたものです。毎月末に発行している花まるだよりとともに、会員の皆様にお渡ししています。

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