私は、地方の小さな過疎の村で高校を卒業するまで過ごしました。村に一つだけあった保育園には通わず、習い事も一切やっていませんでした。
近所に同じ年頃の子どももおらず、年の離れた兄と遊ぶこともあまりなかった私は、親から見れば「人づきあいの面で少し心配な子ども」だったのかもしれません。
就学前の私には、毎日時間がたっぷりありました。ほぼ一日中、NHKの教育テレビを見て過ごしていました。幼児・低学年向けの番組以外は内容が難しくて覚えていませんが、その横で黙って繕い物をしている母の姿は、いまでも目に焼きついています。
私が大好きだったのは『はたらくおじさん』という番組です。気球に乗ったタンちゃんと犬のペロくんが、さまざまな職業の「おじさん」を訪ね、その仕事を紹介していく内容です。工場やコンビナート、都会の高層ビル…。山と川に囲まれた暮らしのなかで、テレビの向こうに広がる別世界に、小さいながらもどこか憧れを抱いていたのかもしれません。
わが家には「夜8時までしかテレビを見てはいけない」という決まりがありました。チャンネルの主導権は父にあり、基本的にはNHKの番組が中心です。ほかの番組を見たいときは、父に許可を取らなければなりませんでした。父の基準は一貫していて、「家族みんなで見る価値があるものはOK。子どもだけが楽しむ番組はダメ」というものでした。ですから、世界の動物の生態を紹介する『野生の王国』というドキュメンタリー番組は、家族で必ず見ることになっていました。私は退屈で途中で寝てしまい、気づくと布団に運ばれている…そんな日も何度かありました。
一方で、当時大人気だった『8時だョ!全員集合』をどうしても見たくて、兄弟で力を合わせ、父をあの手この手で説得したこともありました。ようやく許可を勝ち取ったものの、番組が始まると、父は「くだらない番組だ。終わったらすぐ寝ろ」とぶつぶつ言いながらテレビのある居間を立ち去ります。私は9時就寝の決まりがあったので、番組が終わると慌ただしく寝る支度をし、柱時計が9回鳴る前に「おやすみなさい」と言わなければなりませんでした。それでも、8時以降にテレビが見られる土曜日の夜は、私にとってワクワクする特別な時間でした。
わが家のルールは、細かく決められていたわけではありませんが、父の「ダメ!」の一言で新しいルールが加わっていきました。
ある日、兄に「その本貸して」と言われ、私は「いいよ」と軽い気持ちで本を投げて渡しました。すると、その数分後には父の怒鳴り声とともに、私は玄関の外に放り出されていました。
「物を投げるとは何事だ! お金を出して買ったものを大切にする気持ちはないのか!」
父はそう言いながら、私を外に連れ出し、玄関の鍵を閉めてしまったのです。真っ暗ななかで泣きじゃくる私。何が起きたのかもわからず、恐怖と寂しさで胸がいっぱいになりました。どれくらいの時間が経ったのか、泣き疲れてうずくまっていると、母が「もう家に入りなさい」と声をかけてくれました。そして「お風呂に入って早く寝なさい」とだけ言い、父のいる居間へと戻っていきました。
お風呂場にはパジャマと下着が置かれていました。湯船につかると、「小さなことでも、いけないことはいけないんだ」とまた涙があふれてきました。また一つ新しいルールが加わりました。
あのときの「物を投げてはいけない」という父の教えは、大人になったいまでも私のなかに残っています。気づけば、私もわが子に「物は手渡ししなさい!」と同じように強い口調で叱ったことがありました。
親が意図せずとも、それぞれの家庭における大切な価値観は、代々受け継がれていくものかもしれません。
そして時代が変わっても、どんなに世の中が便利になっても、「当たり前のことを当たり前のこととして大切にできる人」でありたい。そんな思いを胸に、これからも子どもたちと向き合っていきたいと思っています。
スクールFC代表 松島伸浩
🌸著者|松島 伸浩
1963年生まれ、群馬県みどり市出身。現在、スクールFC代表兼花まるグループ常務取締役。教員一家に育つも、私教育の世界に飛び込み、大手進学塾で経営幹部として活躍。36歳で自塾を立ち上げ、個人、組織の両面から、「社会に出てから必要とされる『生きる力』を受験学習を通して鍛える方法はないか」を模索する。その後、花まる学習会創立時からの旧知であった高濱正伸と再会し、花まるグループに入社。教務部長、事業部長を経て現職。のべ10,000件以上の受験相談や教育相談の実績は、保護者からの絶大な支持を得ている。現在も花まる学習会やスクールFCの現場で活躍中である。