【松島コラム】『三十年後の気づき』 2023年7月

【松島コラム】『三十年後の気づき』 2023年7月

 私が最初に勤めた塾で、当時学生講師として働いていたSさんと食事をする機会がありました。最初の出会いは私が教室長1年目、彼は大学1年生のときだったと思います。大学生とはいえ、Sさん自身も中学受験経験者で指導力もあり、子ども想いのお兄さん先生として、生徒たちからも人気がありました。中学生を指導するときは、終電ぎりぎりまで生徒の質問につきあい、「本分である学生のほうは大丈夫だろうか」と心配になるほど熱心な先生でした。その後Sさんは会計士の道に進みました。ところが話を聞くと、いま彼は大学や私立高校の立て直しを仕事にしているというのです。もちろん経営コンサルタントという立場なのですが、「やっぱり教育をやりたかったんだよね」と言うと「そうかもしれませんね」と笑っていました。
 Sさんの教え子で思い出すのはNくんという生徒です。Nくんは以前にこのコラムに登場したことがあります。
 彼はいわゆる多動性のある子で落ち着きがなく、授業中も一人ぶつぶつと独り言を言っているような子どもでした。それをまわりがからかい、Nくんは甲高い声と早口で言い返す。それがおもしろくて、またちょっかいを出す。こういうことが繰り返されていました。当時Nくんの授業を担当していたSさんからは、そのクラスの授業運営について何度も相談を受けました。
 Nくんは塾のなかだけではなく、彼の通っている小学校、その周辺の地域でもちょっと変な子として知られていました。低学年の頃はほかの塾で入塾を断られたり、通い始めても友達とのトラブルでやめさせられたり、そういうなかで最後にたどり着いたのが私の勤めていた塾だったのです。
 成績にはムラがありましたが、それでも全体としてはかなり良いほうでした。しかし、成績の悪い子をバカにすることもあったので、仲のいい友達はできません。私たちとしては、悪い態度は叱る。しかし良いところは認める。無視したりあきらめたりしない。そういう姿勢で臨んでいました。
 Nくんは休み時間になると職員室に来て、Sさんや私に話しかけてきます。
「先生、A中とB中の学校の偏差値はどっちが高いですか」
いつも偏差値の話ばかりしてきます。それも何日かごとに同じ質問をしてくるのです。
「ぼく、偏差値が高いB中のほうがいいな」
SさんはいつもNくんの話を最後まで聞いてあげていました。またそんなSさんのあとをいつも追いかけていました。
 受験本番。
 2月1日はA中、2月3日はB中の入試です。どちらか合格したほうに進学する。両方受かった場合どうするかは、最後までとうとう決められませんでした。合格の可能性はどちらも五分五分。私としては、悪くても2月2日のC中(第三志望)は押さえてほしいという思いでした。
 初日の受験は無事終えたのですが、その夜から高熱を出してしまい、2日のC中は保健室受験になってしまいました。A中の発表は2日の午前中。万が一A中がだめだった場合、C中もこの様子では何とも言えません。B中も万全な体調では臨めないでしょう。ひと晩で状況は一変しました。そんなハラハラする展開のなか、「A中に合格しました!」とお母さんからの連絡にホッとひと安心。体調もよくならないのでB中の受験はやめる選択もあったのですが、本人は「受ける」とのこと。「やはり偏差値の高いB中に行きたいのか」と納得し、「あと一日、がんばってください」と送り出しました。
 結局当初の心配をよそに、B中にも合格し終わってみれば全勝だったのですが、進学先に決めたのはB中ではなくA中でした。偏差値にあれほどこだわりを見せていたNくんでしたが、「最初に合格をくれたA中に行く」と言ったそうです。それもA中に合格した時点でそう決めていたようなのです。ではなぜB中を受けたのか。
 お母さんは少し涙ぐみながら、こう教えてくれました。
「小さい頃からどこに行ってもなかなか受け入れてもらえませんでした。自分で行きたいところを選べない悔しさがあったのだと思います。だからA中の合格がよほどうれしかったみたいです。B中を受けたのは、『両方受かって自分で選んで決めたい』という意地のようなものだと思います」
 Nくんは、中学受験を通じて自分の未来を自分の力で切り開きたかったのかもしれません。さらにもう一つ、今回Sさんと話していてひざをたたいたのですが、A中はSさんの出身校でもあったのです。そんなご縁もあったのかもしれません。
 今年も受験生にとっての大切な夏がやってきました。引き続き、わが子を信じて応援よろしくお願いいたします。

スクールFC代表 松島伸浩


🌸著者|松島 伸浩

松島 伸浩 1963年生まれ、群馬県みどり市出身。現在、スクールFC代表兼花まるグループ常務取締役。教員一家に育つも、私教育の世界に飛び込み、大手進学塾で経営幹部として活躍。36歳で自塾を立ち上げ、個人、組織の両面から、「社会に出てから必要とされる『生きる力』を受験学習を通して鍛える方法はないか」を模索する。その後、花まる学習会創立時からの旧知であった高濱正伸と再会し、花まるグループに入社。教務部長、事業部長を経て現職。のべ10,000件以上の受験相談や教育相談の実績は、保護者からの絶大な支持を得ている。現在も花まる学習会やスクールFCの現場で活躍中である。

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