【花まるコラム】『漢字練習は漢字の練習ではない説』橋本一馬

【花まるコラム】『漢字練習は漢字の練習ではない説』橋本一馬

 もうすぐ花まる漢字テストが始まります。花まる漢字テストは、小学生クラスで年に3回実施している定期テストの一部です。1年生のお子さまをもつ方には「うちの子、漢字どころかまだひらがなも怪しいんですけれど…」と心配されることもありますが、1年生の場合は、「ぞう⇄ゾウ」のように、ほぼひらがなとカタカナの書き換えからスタートしますのでご安心ください。

 ほめて育てるイメージが強い花まるですが、その花まるでも唯一漢字練習だけは、「子どもが泣いてもやらせるもの」としています。それは裏を返せば、泣くほどやりたくないもの、と言えるかもしれません。なぜ、漢字練習はそこまで嫌われてしまうのでしょうか。実は、漢字練習は勉強が得意な子ほど嫌う、とも言われています。なぜなら、漢字練習は学習効率が上がりにくい種類の勉強だからです。算数ならば(16×25=4×4×5×5=20×20)のように、工夫をして効率を上げる楽しみがありますが、漢字練習にはそうした工夫を楽しむ余地がありません。ひたすらに書く、ひたすらに覚える。そうした単純な反復がものをいう世界では、ただただ繰り返す力が試されるのです。

 一見苦行のようにも思える漢字練習を、なぜしなければならないのでしょう。もちろん、社会に出てから困らないように一通りの漢字の読み書きができるようにしておく、という大前提はあります。しかしいまの時代、大人になれば手書きよりもタイプする機会のほうが多くなります。ある程度読めれば書けなくても…という考えもあるかもしれません。漢字が書けることは本当に必要なのか。もし子どもに「漢字練習って何の役に立つの?」と言われたら、どう答えるのか…。

 私はそんなとき、「練習自体が役に立つんだよ」と答えるようにしています。漢字練習は、漢字が書けるようになること以上に、「コツコツ練習ができる」ということ、それ自体にちゃんと意味があると思うからです。社会に出ると、どんなに楽しい仕事についたところで「どうしてもやらなければならない面倒なこと」は存在します。それは時に大量の単純作業かもしれませんし、単なる書類整理かもしれません。しかし、やらねばならぬものであれば、やらねばならぬのです。そういうときに発揮される力が、漢字練習をコツコツと進められるような、泥臭い作業を地道にやり抜く力。漢字練習はつまるところ、漢字を使って「練習を練習している」のではないでしょうか。

 毎回、授業の前に家で取り組んだ漢字練習ノートを持ってくる子がいます。漢字テストのあるなしに関係なく、常に練習を続けているのです。これこそ、テストのための勉強ではない身についた勉強。地道に練習を続けた先には、こんな成長があるのだなとノートに花まるをしながら感じます。漢字に限らず練習ノートは大歓迎です。あればぜひ教室にお持ちください。

花まる学習会 橋本一馬 (2023年)


*・*・*花まる教室長コラム*・*・*

それぞれの教室長が、子どもたちとの日々のかかわりのなかでの気づきや思いをまとめたものです。毎月末に発行している花まるだよりとともに、会員の皆様にお渡ししています。

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