小学生クラスで使用している「キューブキューブ」。9つあるピースのなかから指定した二つを使い、教室長が見せた形と同じものを試行錯誤しながら作り出します。最近、次の教材に移る前にキューブキューブで高積み競争をおこなっています。30秒間でできるだけキューブを高く積んでいき、最終的に誰が一番高く積めるかを競うのです。
3年生のAくんは毎週張りきってその競争に取り組みます。ところがある日、彼の前に座っていたMくんの椅子がAくんの机にあたり、その衝撃でガラガラと音を立ててキューブが崩れてしまったのです。
「うわっ! 崩れたぁ!」
その声に気づいてうしろを振り返ったMくんは自分が崩してしまったことを悟り、「あっ…」という表情を浮かべて固まりました。もちろんMくんに悪気などはありませんでしたが、ショックからAくんに対して何も言えないでいたのです。Aくん自身もMくんがわざとしたことではないと頭ではわかっていたでしょう。けれども、自分が真剣に積み上げたものがたった数段しか残らなかった、その悔しさから
「そこまでー!何段まで積めたか数えてみよう!」
と声がかかった途端、床に落ちたキューブをすべて拾い、そのまま積み上げを再開。そんなAくんの様子を見て、謝ろうとしていたであろうMくんは困惑した様子で私を見つめてきました。
「悪気はなかったんだよね、わかっているよ」
と私は彼に小声で伝え、席に座るよう促しました。Aくんを気にしつつも、目の前のことに集中しようとキューブの段数を数え始めたMくん、そして遅れた分を取り戻そうとせっせと目の前のキューブを必死に積んでいたAくんを私はじっと見ていました。しかし、結果は2年生の女の子が19段の記録を出し、一番に。教室のみんなでその女の子に拍手を送り、次の教材へ移りました。一方、Aくんはというと、先ほどの最高記録19段に自分もたどり着くまで積むと言い張り、一心不乱にキューブをカチャカチャ…。本来であれば、次の教材に移るよう促すところではありますが、このとき私は敢えて彼を見守りました。これはあくまで私の想像に過ぎませんが、Aくんはキューブが崩れてしまった苛立ちやショックをどうにかこうにか自分で解消しようとしていたのではないかと思います。“もういい、やりたくない!”と投げやりになるのではなく、また、「お前のせいだ!」などとMくんにあたるでもなく、ただただ自分が納得するまで積み上げる。そうすることによって、行き場のない感情をどうにかしようとしたのだと。チームの先生にサポートしてもらいながらなんとか満足のいくところまでキューブを積めたAくんはその後、自らキューブを片づけ、ほんの少しスッキリした表情でみんなとともに次の教材を進めていきました。
私たち大人も、どうにも自分の思い描いたとおりにならなかったら、多少なりともショックを受けたり、現実を受け止められないでいたり、やり場のない気持ちを抱えたりすることがあるでしょう。その感情を誰かにぶつけるのではなく、自分でどうにか解消させる。気持ちに折り合いをつけることをAくんは覚えたのではないかと思います。
「学ぶ」とは国語や算数などの勉学だけをいうのではありません。悔しいこと、辛いことを乗り越えていくのも学びの一つだと思います。今回起きたのは「キューブが崩れたこと」、言ってしまえば、“たったこれだけ”のことではあります。大人にとっては些細なできごとですが、子どもたちにとっては一大事。そんな局面を乗り越えた先には、Aくんのようにほんの少し成長した姿があります。うまくいかないと悩むことや投げ出したくなることがあっても、何度だって私たちが手を差し伸べます。ときには自分で起き上がることをじっと見守ることもあります。どこまでも子どもたちの成長を信じて。
花まる学習会 中里明理(2022年)
*・*・*花まる教室長コラム*・*・*
それぞれの教室長が、子どもたちとの日々のかかわりのなかでの気づきや思いをまとめたものです。毎月末に発行している花まるだよりとともに、会員の皆様にお渡ししています。