ある日、1本の電話がかかってきました。電話の主は1年生Nくんのお母さんで、「野外体験に参加させたいのですが、正直悩んでいます」というご相談でした。
Nくんは生まれつき左手の四指が親指にくっついています。右手や顎・肩を器用に駆使してテキストのページを開けるし、紙を折ってハサミで切ることもできます。授業のなかで困ることはありません。しかし、「生活」となると、やはり困ることも出てくるようです。花まる学習会の野外体験ではリーダーがサポートしますし、相談のうえいつでもサポートできるよう個別リーダーをつけることもできます(料金は変わります)。
しかし、お母さんにブレーキをかけていたのはNくんを想う母心でした。「先生、私、わかっているんです。Nの体についてはN自身が話し、まわりの人にわかってもらえるように強くならなければいけないんだって。でも、私が健康に生んであげられれば、Nは無理やり強くなる必要はないんじゃないかって。私のエゴなんじゃないかって…」お母さんの率直な想いが伝わり、胸がギュッと締めつけられました。
頼っていただいたことに心から感謝をし、私も正直に伝えました。子どもの好奇心は時に、残酷に映ることもあるということを。たくさん、たくさん話し合いました。最終的に、お母さん自身が結論を導き出しました。「私も好きなことをやって生きてきて、いまは幸せです。Nにも好きなことをして人生を謳歌してほしい。そのためには、Nを守りすぎるのではなく、自分で助けを求め、できることは努力をし、自分らしい人生を歩んでほしい」と参加させることを決断したのです。
サマースクールを終え、電話をすると、Nくんが「楽しかったよ! 最初、手のことを言われることがいやだったけれど、助けてくれる子がいたの。みんなが助けてくれた! 困ったら言えばいいんだな、と思えたんだよ」と話してくれました。彼が自分の心と葛藤し、乗り越え、自信をつかみ取ったのだな、とわかりました。理解を示してくれる仲間に出会えたこと、特に3年生のJくんがたくさん手伝ってくれた、と嬉しそうでした。そして、お母さんも「あのときNを止めなくてよかった! Nにとって宝物の経験です」と仰ってくださいました。
そして、偶然にもJくんは私の担当する教室の生徒でした。話を聞くと、マスクをつけるのに時間がかかっているNくんの様子を見てJくんが手伝ったことから、ほかの子どもたちもNくんに手を貸し始めたそうです。
Jくんのお母さんが教えてくださいました。「サマースクールから帰ってきてから、Jが『ありがとう』ってよく言うんです。そして、お手伝いをよくするようになりました。数日経って私に『Nくんはお母さんにギューって抱きしめられるのかな?』と聞いてきて、そこでNくんのことを知りました」と。そして「自分が当たり前にしていたことが実は当たり前じゃない、と思ったみたいなんです。先生、Jも人に想いを寄せられるようになったんだなーと成長を感じられて嬉しかったです。そして、見ているだけでなく、行動に移したJが誇らしいです。Jも私も野外体験で宝物をもらったなぁ、と思っています」と。
自分が当たり前だと思っていたことが実は当たり前ではないこと、世の中にはいろいろな人がいるけれど同じ人間であること、困っている人に手を差し伸べることを学んだJくん。困ったときには助けてもらっていいのだ、ということ学んだNくん。人は一人では生きられません。人生を歩むなかで大切なことをつかみ取ってきた彼らを私も誇りに思います。
「かわいい子には旅をさせよ」とよく言いますが、さまざまな葛藤があるはずです。そのなかでおうちの方が背中を押してくださったからこそ、彼らが得られた『宝物』でしょう。
花まるグループはどんな子も受け入れます。背景も価値観もまったく違う子どもたちがいます。野外体験はまさに「多様性」にあふれているのです。だからこそ、学べることがあるのだと思います。
あのとき、あの場所で出会った仲間との思い出が、彼らの人生のなかで背中を押してくれるものになれば、これほど幸せなことはありません。たくさんの宝物を抱えて彼らが社会に羽ばたいていってくれることを心から願っています。
花まる学習会 舘岡聡美(2022年)
*・*・*花まる教室長コラム*・*・*
それぞれの教室長が、子どもたちとの日々のかかわりのなかでの気づきや思いをまとめたものです。毎月末に発行している花まるだよりとともに、会員の皆様にお渡ししています。